タティングレース作家 広瀬 史子さん Fumiko Hirose 
秋田市保戸野金砂町

託されたレース

 19世紀英国、それは貴婦人たちの優雅な趣味だった。繊細で華やかで、ヴィクトリア時代の面影を強く残すタティングレース。それが今、海を越え時代を越え、日本でも静かに深く注目を集めている。広瀬さんは、そんな日本のタティングレース界における貴重な担い手のひとり。十代の終わりに、がんに侵されたシスターから「後世に残るように」と託されたのがタティングレースだった。「本格的に始めるまで時間がかかってしまいましたが、受け渡された技術を広めなければと、ずっと思っていました」。タティングレースの特徴を「バラや宝石、象牙細工などによく似合う」と表現する広瀬さん。しかし、甘い匂いを残しながらも、どこかつつましやかで静謐(せいひつ)な印象を受けたのは、広瀬さんの人柄のためだろうか。

タティングレースは「癒(いや)し」 

 レースの作り方には、織る・編む・かがるなどの技法があるが、タティングは糸を「結んで」作るレース。使う道具は、フランス製のレース糸と、「シャトル」と呼ばれる7cm大のボート形の杼(ひ)だ。左手にかけた糸の輪に、糸を巻き付けたシャトルをくぐらせると結び目ができる。一目は2mmにも満たないほど小さいが、その結び目の連続を輪状(リング)にしたり、鎖状(チェイン)にしたりして、それらを組み合わせると繊細なレースができあがる。広瀬さんの手がすっすっすっとリズミカルにシャトルを操ると、みるみる優美な曲線模様が生み出されていく。「糸がとても細いので作業は遅々として進みません。三目ピコ、三目ピコ(三目結んだらピコと呼ばれる小さなループを作る)…という風に、頭の中で目数を数えていくんですが、集中できないと間違うことも。でも、シャトルを動かしていると気持ちが落ち着くんです。私にとってタティングは癒しですね」

糸を結んで、人も結んで

 小さなモティーフのレースは、ブローチやサシェなどにあしらって楽しみたいという広瀬さん。テーブルセンターやストールなどの伝統的な大作はもちろん、普段使いの小物もレースで彩る感覚は、年に二度の英国研修旅行のたまものでもある。「これからの課題は“古典回帰”。銅版画に刻まれた、ヴィクトリア時代のモティーフの記録を読み解き、再現するのが楽しみです」 
 何も施さなければ一本の糸。結んでみるといく通りもの模様となり、暮らしに華やかな表情を添えてくれる。「外出先で手を動かしていると、見ている方が関心をもってくださって、それが縁で友人になったり。人の輪が広がっていくのがうれしい」。タティングレースには、縁の糸をも結ぶ天使の力が宿っているのかもしれない。