「金属に対するイメージは、硬い、熱い、冷たい、切れる(刃物)、さびるなど。そうした認識が変わるようなものを作りたい」。武藤さんは、普段、産業部品を作る鋳物職人として作業場に立つ。その一方、本業とは別の角度から創作活動を行っている。

鋳物制作 武藤工芸鋳物 武 藤 元さん Hajime Muto 秋田市添川

感情に響く金属

 熱で溶けた高温の金属を扱うため、鋳物作りに危険は付き物だ。製品を完成させる目的以外、自分の身を守るための技術と集中力がいる。主な製造工程と工程を橋渡しする作業、どれも気を抜くことはできない。「橋渡しでも下手な仕事をすると下手が物に出る。物を作りながら物に試され、自分の確信を突かれる仕事」
 鋳物作りの歴史は古く、技と精神は職人から職人へと受け継がれてきた。武藤さんは、明治創業の鋳物屋の四代目。二十歳で東京に修業に出た。工房の親方と先輩職人の雑用に走る日々。親方が思いがけなく東京芸術大学の教授から仕事を受けていたため大学に使いに出ることもあった。それは伝統的な職人修業の場からアートの世界へ足を踏み入れる瞬間だった。「雑念がなく真っ白な心で『こういう考え方もあるんだ』と芸術家の世界を垣間見ていた。『君も鋳物やっているの? 頑張ってね』なんて声をかけられながら…」。ある時、教授から石こう原型制作の依頼を受ける。作業の下ごしらえを任されて喜んだ武藤さんだったが、いざ仕事にかかると手が動かなかったという。「作業を橋渡しするものをきちんと作れないと最終的なものは作れないと気がついた。東京での修業があって今がある。先輩を見て勉強し、芸術に触れ、人として鍛えられた貴重な一年半だった」と当時を振り返る。
 帰郷後は家業をこなしつつ、東京の工房からもらってきた道具や材料で復習を繰り返していた。金属の創造性を追求する夢はいつも心のどこかにあった。本業とは別に作り続けてきたものが積み重なって今に至る。「金属の硬い一面を変え、人の感情に響く作品を作りたい。不思議だなと目を留めてもらえるもの。感じ方は人それぞれ。自分の世界をあえて作らず、人の反応を咀嚼(そしゃく)しながら作っていく」。本業と創作活動を器用にこなすが、武藤さんは、「確信に至ったものはない。評価とは別にどれも中途半端にしたくない。生涯勉強。これから」と、あくまで謙虚で一本気だ。