六年前、一人の女性が四百年もの伝統を受け継ぐ工房の門を叩き、弟子入りを志願した。「大変な世界だ。やめろ」。茨城県無形文化財西ノ内和紙のすき手、菊地正氣氏はきっぱり断った。それでもあきらめずに弟子入りを果たし、職人として独立したのが高橋さんだ。

高橋 朋子さん Tomoko Takahashi 秋田市雄和

 全国的に伝統の技を継承する職人が減少するなか、高橋さんは、自ら工房を構え、手すき和紙職人として活動している。「和紙の概念や型に固執することなく、伝統の技とオリジナル性を合わせて、地域に長く根ざす作品を作っていきたい」との思いから掲げた名称は、「出羽(いでは)和紙」。ある紙は、ふんわりと弾む羽衣のよう。また別の紙は、原料である楮(こうぞ)の繊維が不規則な編み目を成して、糸で編んだレースのような繊細な雰囲気を紡ぎ出す。
 ずっしりと重い舟を振り、滴り落ちる水の音を聞きながら紙をすく。独立して四年。和紙作りだけで生業とすることは並大抵なことではない。それを実践する高橋さんだが意外にも数年前まで物作りとは無縁のOL生活を送っていた。「ただ流れていく日々。何かが心に引っかかった」。立ち止まると、仕事をこなす充実感と空虚感が交錯していた。「新しいことに挑戦してみたい。年月が過ぎても形として残るものを作る仕事を」と選んだのがこの道だ。紙すきの体験で和紙作りの奥深さを知り、さらに秋田市のギャラリーで見た和紙に魅了され、作者、菊地氏に弟子入りを志願。結果は、門前払いだった。その後送った手紙でも断られ、家族にも反対されたが、会社を辞めて単身で茨城へ。「行くんだ!」。固い決意が、伝統を受け継ぐ厳しさを人一倍知る師の心を動かした。修業時代の苦しさも「決めたら前に進むだけ。失敗したら原因を考えて、また前に進めばいい」と笑い飛ばす。純粋で強く、しなやかで美しい。出羽和紙は、高橋さんの心そのものだ。
 正倉院には、千三百年以上前に作られた日本最古とされる和紙が現存している。高橋さんの夢は、工房の脇に植えた楮で紙をすくこと。その夢は、きっと出羽の国の宝を作ることだろう。