Sawako Abe 阿部 佐和子さん 役者/劇団わらび座

 だれもいないけいこ場。小型のキーボードを片手に、鍵盤をたたいて音を出す。声を発し、音程を合わせ、静かにメロディーを紡ぎ出す。
 「ととさま お前さまと 暮らした日々……」
 やわらかな歌声が波紋のようにあたりの空気をふるわせる。人が良くて、朗らかで、いい女房。そんな役柄を言葉ひとつ、音ひとつに込めて歌い上げる。樹木に囲まれたけいこ場で、彼女の耳に降らんばかりのせみ時雨は聞こえない。

凛々しさ印象的

 サウナスーツの上に、黒のダウンジャケット。けいこ場ではいつもこのスタイルだ。けいこの一時間ほど前には必ず、外を走る。首にはタオル、口にマスク、長い黒髪は無造作にひとつに束ねて走る。「だから私、まるで山姥みたい」と笑って、大きな口を手で押さえる。
 「ウォーミングアップの時間はとっても大切。できるだけ筋肉を早く温めないと、けがの原因になってしまうから。けいこ時間に合わせて走って、ストレッチをして…」
 あどけなさもまだ残る二十五歳。鏡の前で、入念なストレッチと発声練習を黙々と続ける。「華」を感じさせる彫りの深い顔立ちに、くっきりとした目と口元の表情が明るい。正面から発する明るさや意志の強さより、横顔の凛々しさが印象的だ。
 「たぶん、今回の舞台が転機になるはず」
 わらび座入団七年目の夏は、ミュージカルのけいこに明け暮れていた。

心を揺さぶる芝居を

 初めて泣いたのは、「フランダースの犬」だった。野山を駆けめぐり、日が暮れるまで泥んこになって遊んでいた小学三年のころ、テレビで見たアニメに心動かされ、初めて涙した。「人って、こんなに感動することができるものなんだ」。その時の思いは、今でも鮮明に覚えている。学校の様子も、テストの結果も、近所の人たちにすぐ知らせ、みんなの前で踊るのが好きな少女だった。
 父の転勤で県内を転校しながらも、常に心の中にあったのがその感動だった。あのアニメのように、体や声すべてを使って人の心を揺さぶりたい―。中学時代の陸上部を経て、高校時代は迷わず演劇部に入部した。花岡事件を題材にした舞台や、今はモデルや声優、ヘアメイクとして活躍しているメンバーたちと語り合った時間は、かけがえのない思い出だ。
 そして高校三年の夏。実は、就職することをもう決めていた。「声優になりたい。東京に行きたい」との思いは、「都会に行きたい」という憧れに過ぎなかったことを両親は見抜いていた。だからこそ声優への夢は反対され、あきらめて地元での就職内定を決めていた。
 そんな時、生まれて初めて本格的な舞台を観た。わらび座のミュージカル「男鹿の於仁丸」だ。舞台を観て心にさざ波が立ち、やがて大きく波打った。それは自分だけでなく、劇場全体に打ち寄せて大きなうねりになっていた。思い出したのは、小学生のころのあの感動。「もうあきらめない」。そう決めた。数年後には、「男鹿の於仁丸」のヒロイン役を射止めることになるとは知らずに。


わらび座の研究生へ

 それからの展開は目まぐるしかった。ただの憧れだったころと違い、舞台への思いは真剣だった。「本当に好きなのであれば、やったらいい」。両親もそう言ってくれた。わらび座の養成所に入るため、決めていた就職を断ってピアノや声楽を習い、翌年の春には研究生として寮生活を始めた。
 「舞台には、体力、筋力、歌、芝居、そしてやる気が必要」と彼女はいう。そのすべてを身につけるのが、研究生の二年間だ。
 「研究生の期間はとっても楽しかった。民謡やオペラ、日本舞踊や民族舞踊、詩吟、太鼓、ジャズダンス、バレエ…。朝から夕方までけいこをして、夕方からはたざわこ芸術村でアルバイト。毎日がとても楽しかった。そのころは、演じることの本当の苦しさを知らなかった。あのころ、もっと悩んでいたらなぁ」
 けいこにもがき苦しんだり、けがをして辞めてしまった仲間もいる。六人入った研究生が、二年後の試験のころにはたった二人になっていた。


感情を引き出す役者に

 ミュージカルやコメディー、一人芝居など、これまで出演した舞台は七作品にのぼる。楽しかった研究生時代と違い、プロとして上がる舞台には苦しみも多い。「男鹿の於仁丸」では、里人から鬼と呼ばれ、恐れられている於仁丸をいちずに思い続けるヒロイン・おゆうを、「鬼ンこおばこ」では恋敵の役を、ほろりと泣かせる一人芝居「おらとかあちゃんの祝い歌」では、結婚を前に母の秘密を知り、本当の愛や家族の意味を問う若い娘を演じた。作品ごとに全力をささげるのが、彼女の信条だ。
 「恥ずかしいから」と、ほかの団員には言えない練習もした。たとえば妊婦の役の時、タオルなどを腹に巻いて外出し、一日を妊婦として過ごした。のどを悪くした時は、「何もしゃべらない」と決めて日常を過ごした。
 「何もしゃべらずに街を歩いて、いろんな場面があったけれど、人って意外と優しいんですね」
 いろいろな人が、いろいろな思いを抱えながら観に来てくれる。舞台を観てどう感じるか、どこに感動するかは人それぞれだからこそ、人の心の機微に敏感だ。
 「舞台を観て、心を解放してくれるのがうれしい。観る人の心から、さまざまな感情を引き出せる人間になりたい。役者が思うことと、お客さんが感じるのとは別のことだから、表現として生み出すには、けいこをただ楽しんでいてはだめ。プロとして、いっぱい悩んで、苦しんでいきたい」
 以前、脚本・演出の大関 弘政さんにこう言われた。
 「耳の聞こえない人や、目の見えない人、病気の人や健康な人、子どもや大人も、外国人も。お芝居は、すべての人の心に絶対に通じる。阿部ちゃん、やるんだで」
 その言葉を支えに、七年目の舞台への覚悟はできている。

幅広い年代に挑戦

 ミュージカル「よろけ養安」(作/杉山義法 演出/井上思)は、院内銀山のお抱え医師だった門屋養安が残した日記をもとに、江戸時代後期の銀山の繁栄や病気、戦、日常生活などを生き生きと描いた作品だ。ユーモアを織り交ぜ、子どもや妻への深い愛情をうたいながら、養安の波乱に富んだ人生を舞台上に繰り広げる。阿部 佐和子は、養安の最初の妻サツ子役。二十代の彼女が、身重で押し掛ける三十代から、病で亡くなる五十代までの女房を演じる。
 「こんなに幅広い年代を演じるのは初めて。五十年間これまで生きた日々、子どもを育ててきた日々を感じさせるような演技が必要。生きた声、深みのある声を奏でたい」
 養安の腕のなかで死を迎える時、サツ子は歌う。
 「こんなオラだけど 幸せだった ととさまと暮らせて お前たちがいた」
 しっとりと、でも力強く歌いきってその身を果てる。エピローグでは、さらに優しさに満ちた歌声で養安の人生を包み込む。
 「ととさま お前さまと 暮らした日々 幸せだったべしゃ どんな時も」
 これまで以上に難しく、深みのある役を演じ切ろうと、正念場の幕は上がった。

(2004.10 Vol48 掲載)

あべ・さわこ
1979年鹿角市八幡平生まれ。県立花輪高等学校卒業後、劇団わらび座養成所へ。研究生修了後、「男鹿の於仁丸」「おらとかあちゃんの祝い歌」「鬼ンこおばこ」「つばめ」「ぷろぽーず」をはじめとしたわらび座のミュージカル、コメディー、一人芝居などに幅広く出演。2004年8〜10月県内、2005年1〜3月全国公演のミュージカル「よろけ養安」では院内銀山医師・門屋養安の妻サツ子を演じる。田沢湖町在住


■劇団わらび座/仙北郡田沢湖町卒田字早稲田430
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