阿部雅龍タイトル

 子どものころ、冒険記や冒険小説に夢中になった。
 読み進むごとに高まる、未知なる世界へのあこがれやワクワク感。誰しも一度は抱いたであろうこの思いが、消えることは決してなかった。─むしろ年々増していた。そして疑問も生まれた。
 「人はなぜ大人になるにつれ、子どものころの夢を失っていくのだろう」
 秋田大学在学中、周りでは就職活動が始まろうとしていた。「自分は、このままでいいのだろうか」
 そんな時、ある冒険家の言葉を目にする。
 ─笑って死ねる人生がいい
 次の瞬間、取りに走った「休学届」。以来、夢を追い続ける。限りある人生を後悔しない、そのために。


過酷な挑戦

 高地独特の乾いた空気。足元は凸凹の石ころや行く手を阻む砂漠。富士の頂をはるかに越える高山を、自転車を押してひたすら進み続けた。
 酸素は薄い。日中は灼熱、夜は氷点下。水と食料も限られている。旅の相棒は自転車のみ。頼みは地図とコンパスだけだ。
 2005年に挑んだ南米大陸単独自転車縦断の旅。それは自身初の海外だった。英語もスペイン語も分からない。しかし、現地の人と心が通じた。
阿部雅龍 ウユニ塩湖 「南米はモンゴロイドの子孫が生きる土地。日本人に顔は似ているが、文化は違う。そういう人たちの暮らしが見てみたかった」
 エクアドルの赤道付近を出発し、目指すは、アルゼンチンの南米大陸道路の末端ラパタイア湾。アンデスの山並みをたどる過酷な旅だ。
 ボリビアでは直径100㎞のウユニ塩湖を横断。360度見渡す限り真っ白な塩の大地をひた進んだ。「コンパスがあるとはいえ、一面真っ白だから方向を失って予定が伸びた。 一 日だけ水と食料なしで歩くはめになった」
 砂漠では水が底をつき、持参していたコンロも壊れ、2週間まともな食事が取れなかった。「カロリーを取らないと動けなくなる。仕方なくサラダ油を飲んだ。こんな時、精神的につらいけど泣き言は言っていられない。進まなきゃ、何かやらなきゃ、何も変わらないから」
 過酷な旅を選んだのは自分。「やるんだったら、難しい壁に挑戦しないと意味がない」。そう常に思っている。

果てなき旅
 全10924kmに及ぶ旅は、290日目にしてゴールを迎えた。道の果てに着いた時、感動より先に思ったことがある。
 「次はどこに行こうか。旅はここで終わりじゃない。終わった瞬間、それはすべて過去のものだ」
 翌年、大学に復学した。学業の傍ら、空手道場に通い、マラソンやトライアスロンのレースにも出た。学業の合間を縫ってカフェやバー、コンビニで夜勤のアルバイト。体を鍛えつつ資金を貯めた。すべては次の挑戦のため、夢のため…。
阿部雅龍 ボリビア 大学卒業後は、東京浅草で人力車を引いた。海外からの観光客が多く、人力車で街を案内しながら語学力を磨いた。 
 09年、カナダのバンフ国立公園へ。現地の企業でビデオカメラマンとして働きながら、休日に山に登ってトレーニングに明け暮れた。
 次の目標は決めていた。カナダ─アメリカ国境からメキシコ国境までアメリカンロッキー山脈を縦走し、コンチネンタルディバイド(アメリカンロッキーを流れる分水嶺/太平洋、大西洋に注ぐ水の分岐点)を走破する。そして翌年は、前年と同じスタート地点から北上し、カナディアンロッキー山脈を縦走。グレイトディバイド(カナディアンロッキーを流れる分水嶺/太平洋、大西洋に注ぐ水の分岐点)を走破する。2年がかりの壮大な計画だった。

苦難の末に快挙
 いつも旅の前には、約半年かけて用意周到に準備をする。「冒険に危険はつきもの。ありとあらゆる想定をして旅に備える」。荷物は最小限に。地図は数千㎞分、何百枚と持って行く。GPSは持たない。「地図を読めば、自分の位置や水の在りか、一 日に進んだ距離など、いろんな情報が見えてくる」。危険を想定し、回避方法を事前に調べることも忘れない。
 歩けど歩けど山は続く。仲間はいない、頼りは自分のみ。体力消耗を避け、装備はとことん軽量化。コンロや鍋は持たなかった。
 ロッキー山脈には南米にはない危険もある。野生動物の存在だ。ヒグマより大きなグリズリー、ネコ科の大型肉食獣クーガー、オオカミの近縁コヨーテなど。「実際、グリズリーと15m位の距離で遭遇した。向こうが立ち上がって、見ると3mはある。幸い助かったけれど。夜は森中にコヨーテの遠吠えが響く。寝込みを襲われないよう、食料は遠くの木にぶらさげ、テントでは絶対食べない。近くで排せつもしない。匂いで悟られるから」
 切り立った崖に足がすくむこともあった。しかし、常に後悔はない。「後悔しないために旅に出る」
 精神を研ぎ澄ませ、孤独な戦いに挑むとき、普段思いもしない境地に至る。「自分は今、生きている。だから生きて帰るんだ」 
 10年にコンチネンタルディバイド4200㎞を147日間で、11年にグレイトディバイド1100㎞を42日間で踏破。ロッキー山脈単独縦走は日本人初の快挙となった。

夢を語り継ぐ
 旅の原点は、学生時代に日本中をヒッチハイク旅行したことにある。「当時は二十歳。気が強く、『一人で生きているんだ』みたいな感覚があった。でも、ヒッチハイクで自分の弱さを知り、人の優しさにふれた」
 大学に「南米を自転車で縦断したい」と休学2年目を願い出たときは「危険」を理由に受理されなかった。しかし、若いころ自転車での長旅を経験した教授が理解を示し、ほかの教授を説得してくれた。
 南米の食堂では、居合わせた老人に夢の話をした。すると、先に店を出た老人がこっそり会計を済ませてくれていた。旅先からの報告を、都度ブログにアップしてくれた友人もいる。 
 「自分がなぜ高い壁に挑むのか。それは、たくさんの人に支えられて生きているから。自分は何もできないけど、せめて旅を成し遂げることで恩返しがしたい。だからつらいときも頑張れる」
 現在、資金稼ぎとトレーニングを兼ねて、東京浅草で再び人力車を引いている。「旅先で日本の文化をしっかり伝えられるように」との思いもある。
 講演活動も大事な仕事だ。「子どもたちに伝えたい。何でもいい、夢を決して諦めないでと。自分は子どものころ冒険にあこがれ、いまそれをかなえている。人には理解されないし、あきれられるかもしれない。それでも、やりたいことに向かってがむしゃらに走っている人間がここにいる。だから挑み続けなければいけない。自分の夢は旅の先にある」
 カナダに行く前、ボランティアで行ったウガンダ。その景色が胸にある。「次はアフリカを旅してみたい。アラスカ、チベット、アマゾンもいいな」。情熱のまま、子どものころの輝きのまま。目の前には果てしない空が広がっていた。

(2012.4 vol93 掲載)


阿部美音子1
あべ・まさたつ
1982年、秋田市生まれ。潟上市育ち。秋田大学在学中、自転車での南米大陸(290日・11,000km)単独縦断を達成。2010年、カナダ—メキシコ間Continental Divide Trail(4185km)単独踏破。11年、カナダGreat Divide Trail(1100km)日本人初単独踏破。東京浅草で人力車を引きながら、自称「夢を追う男」として、旅をテーマに講演活動、執筆活動を行っている。東京都在住

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