あでやかな着物の袖から手を伸ばして差し出したのは、菊花文様に名をしたためた花名刺。
 小さな札に、筆文字で「千乃葉(ちのは)」。
 その名のように、芽吹いたばかりの葉を思わせるあどけない表情。かんざしを傾けながら、じっと見詰めるまなざし…。着物の裾を整えて座るたたたずまいは晴れやかで、初々しい。

 唄や踊り、三味線などの芸でお座敷を華やかに盛り上げる舞妓や芸妓。京都・祇園の花街文化とは別に、秋田市の旭川沿いに位置する繁華街・川反ではかつて、独自の芸者文化が花開いた。「秋田美人」という言葉が生まれた始まりとされる、川反芸者だ。戦前には200人近くがいて、川反に軒を連ねていた料亭のにぎわいを支えていたという。そんな芸者文化を現代に復活させようと取り組んでいるのが「あきた舞妓」。今夏、3人の舞妓がデビューした。
 ただそこにいるだけで、お座敷を異空間へと導く。美しさ、あでやかさのゆえんは、何よりも芸や所作にある。
 「これまで唄に合わせて踊ったことも、お座敷でお酌をしたこともありません。何から何まで初めてで、慣れないことばかり…」
 あきた観光レディーの任期満了を迎え「人生、これからどうなるんだろう」と不安を抱いていたとき、「あきた舞妓」の事業化を目指していた水野千夏さんと出会った。「私のやりたいことって、これかも!」と、迷わず舞妓になることを決めたのが、今年3月のこと。「いつだったのかも覚えていない。ずうっと昔のことのよう」というほどこの数カ月は濃密だった。日本舞踊のお稽古にお座敷での作法、着物のこと、化粧のこと…。練習のため出させていただいた最初のお座敷では、立ったままあいさつしたり、戸を外してしまったりと「まるでお笑いでした」と笑う。
 「それでもくじけたり、不安に思ったことはありません。舞妓になることに気持ちがぶれたことはない。周囲から『本当にできるの?』と疑いの目を向けられても、やるのは私。友人に『付いていけない』って言われるぐらい、私、ポジティブなんです」
 22歳で築いた心の強さは、あきた観光レディーとしての経験にある。高校までクラリネットに明け暮れていた千乃葉さんが、「世界を広げてみたら」という母の勧めで活動を始めて直面したのが、県内外で感じた秋田の現状だ。自信を持ってPRできない悔しさを胸に、秋田をもっといい場所にしたいと考え続けた3年間だった。
 「心からのおもてなしや礼儀はもちろん、秋田のことなら何でも知っていて伝えられる百科事典のような舞妓になりたい。自信を持って、秋田って素晴らしいところなんだって」
 芽吹いたばかりの緑の葉は、光や風雨を浴びて少しずつ深みを増していく。あきた舞妓として、どんな色に変わっていくのだろう。

(2014.10 vol108 掲載)

プロフィール/あきた舞妓 千乃葉(ちのは)
1992年秋田市生まれ。明桜高等学校卒業後、医療事務の資格取得を目指すため専門学校に入学。1年次から3年間、「あきた観光レディー」として県内外のイベントなどで活動。2013年秋田市内の医療機関に就職後、翌年退職。8月には「あきた舞妓」としてデビューした。
秋田市在住
あきた舞妓 http://akitamaiko.com TEL018-827-3241(株式会社せん)