秋田で芽生えた女優への夢
芝居しかないと大学を中退し、二十歳で上京。『無名塾』に入る。
―舞台の上では、違う自分になる。芝居ができれば、他には何もいらない―





 秋田で過ごした幼少期

 父親の仕事の転勤で、秋田県内各地を転々としました。特に小学校は5回転校。鷹巣や大館、横手、十文字、秋田と移りました。今でも何処に行っても同級生が応援してくれます。
 十文字中学校の時、演劇に興味があったんですが、中学に部が無かったので、合唱部に入ったんです。歌うことも大好きでしたが、やっぱり芝居をやってみたいという気持ちはずっとありました。秋田市に転居することになり、横手城南高校から秋田西高校へ転入、そこで初めて演劇部に入りました。


 大学を中退し『無名塾』へ

 大学は仙台の東北福祉大学に入学しました。ここでも演劇同好会に所属していました。大学3年になると教育実習があるので、その前に出身校に挨拶まわりをするんですが、その時にハッと思ったんです。教育に関わるということは大変なこと。このまま教員免許を取っていいのか、と。周りの友達はボランティアをしていたり、教育とか福祉とかはっきり目標がある。でも私は、演劇ばかりやっている。こんな私が教育者になっていいのか…。その時、自分がやりたい事は何かと考えたら、芝居しかなかったんです。
 ちょうど春休みに東京で劇団のオーディションがあるので、自分を試してみようと仲代達矢さんが主宰する『無名塾』を受けました。当時、700人近くが受けて合格したのは私も含めて7人でした。
 それですぐに大学に退学届を出しました。今思うと何も考えていなかった。『無名塾』は他の劇団の養成所と違ってお金がかからないんです。だから自分の生活費だけあればいい。アルバイトでも何でもして芝居をやろう、好きなことをやろうと上京しました。


 『無名塾』の3年間

 無名塾では、まず稽古場に着いたら、グラフに自分が来た時間を書くんです。稽古場に来た順番に、早い人から稽古をつけてもらえます。朝一番に行くと長く指導してもらえます。朝9時から稽古が始まるんですが、大体一番の人は正午まで指導してもらえますが、そのあとの人は30分くらいなんです。私は3年間ほとんど一番で通しました。早い時は朝4時半には稽古場にいましたね。大学時代に仙台の魚河岸でアルバイトしていたんです。時給が1,000円くらいもらえたので…。これが早起きに役立ったのかもしれません。
 仲代(達矢)さんは、いつもボソッと一言だけで、はっきりああしろ、こうしろとは言わないんです。例えば、毎日、稽古場の近くの砧公園を何周したかグラフに書かないといけないんですが、それを見ながら、「ふーん、2周か…」それを聞いて、あ、もっと走らないといけないのかと思ったんです。それで、私は雨の日も雪の日も10周しました。そうしたら、足に筋肉が付き過ぎてしまって「それは女優の足じゃないなあ…」と言われたんです。芝居の稽古もその調子ですから、いつもこういうことかな、と考えながらやってきました。


 「中学生日記」との出会い

 3年間の塾生生活を卒業して、いよいよデビューすることになりました。もちろん、塾生の時にも小さい役で出たことはありましたが、それはあくまで無名塾の舞台でしたから。今度は外の仕事をやってこいと言われました。刑事物のテレビドラマでデビューしました。翌年、24歳の時NHKの「中学生日記」の守山先生役を頂いて、3年間出演しました。ちょうどこの頃は中学生の犯罪や自殺、いじめ、性教育など社会的な問題が起きていて、番組自体が世の中を無視して作ることができなくなっていました。それまでのアットホームなお話でなく、社会問題もテーマに取り上げて作りはじめた番組の過渡期でした。私も演じながら、考えさせられました。これは子供を通して大人にメッセージを送っているんじゃないかと思ったり。生徒役の中学生たちとは、いろんな話をして本当の先生と生徒みたいになりました。

 秋田でのテレビ出演

 「中学生日記」のあと、映画や舞台、ドラマをやりながら、定期的に秋田に来るようになりました。NHKの「あきた解体新書」出演、それから全国放送されたハイビジョンの竿燈中継。去年は毎月NHKの「あきたYOUマガジン」に出させて頂きましたし、大曲の花火中継もしました。
 今年も毎月、第一土曜日、夕方にNHK「あきたYOUマガジン」に出演していますが生放送なので毎回すごく緊張します。セリフを覚えて話すことに慣れているので、アドリブで話すのは苦手で、難しいなあ、大変だなあ、もうやめようといつも反省するんですけど、生番組は勉強になりますね。


 舞台にいるのは違う自分

 ドラマ、映画、CM、どれも面白くて比べようが無いんです。それぞれの世界がありますね。
 でもやっぱり一番は舞台。舞台の本番前は楽屋でぶつぶつ独り言を言うんですよ。私、この仕事向かない…とか。すごい緊張感です。でも舞台に出るとホッとするんです。幕があいてお客さんがいると、違う人間になっている私がいて、今日はどうお客さんを楽しませようかな、と思う。
 いつも楽をしないでいたい。自分の芝居を作っても壊していきたいので、他の劇団の公演に参加しています。去年やった舞台「休むに似たり」は、台本の無い即興劇で、演出家が設定だけ決めて、後は役者が作っていくんです。例えば、「中学時代の同級生が、結婚式の二次会で集まった」という設定だけ与えられて、役者がアドリブで好き勝手にある場面を演じて、それをもとに芝居を作るんですが、面白いものができました。三十歳半ば、いいトシして結婚していない人たちの話になって、演じる私たちがそうなので実体験に基づいたエピソードがたくさんあって、でき上がったら本当に面白くて評判も良かったです。


 味のある役者に

 秋田で舞台に立ちたい。まだ、秋田で公演したことがないんです。秋田の人に芝居に触れてもらいたいし、それが私の出ているものならなおさらうれしい。
 役者を長くやっていきたい。他に何も考えていません。自分が食べていければそれでいい。ただ好きな芝居ができていれば幸せです。
 そうして年を取った時、味のある役者になりたい。「あのお婆ちゃんが出てくると、いろいろ奥にあるものが見えるね」と思ってもらえるような奥行きのある役者になれたらな、と思っています。(談)

(1999.5 Vol.18 掲載)


ふじもと・きくこ

1968年1月生まれ。秋田県出身。   
秋田西高校卒業後、東北福祉大学に進学。大学を中退し、上京。『無名塾』に入塾。1991年テレビドラマでデビュ−。以来、NHK「中学生日記」の守山先生役をはじめ、ドラマ・舞台・CM・映画で活躍。



映画「エイジアン・ブルー」より
写真提供:(株)シネマワーク

写真:舞台「キモツキック・3」より
安達雅充