Ippei Hirasawa 平澤 一平さん
イラストレーター
イラストという言葉だけでは表現できない味がある。
立体がかもし出す影や、削られた木の質感が空間を埋めているせいかもしれない。
紙に描くのではなく、版木に彫って描くイラスト。
誰も考えつかなかった技法だが、それは今や平澤一平の個性となっている。

 それはイラストレーターをめざして東京・中央美術学園に通っていた20歳のころだったという。日本画を描いていた大伯父や伯父の影響でもともと、絵や版画が好きだった。そのころも何とはなしに版画をやっていて、部屋の隅には摺り終えた版木がたまっていた。たまたま友人が遊びに来ていて、画材や展覧会の話になった。ふと、彼はたまっている版木に目をやってつぶやいた。
 「この版木、あと使い道がないなんてもったいないなぁ。これに色を塗ってみたら面白いんじゃないか?」
 「そうだな、やってみようか?」とりあえず無雑作に絵の具を塗ってみた。みるみる木肌が絵の具の色に変わっていき、そこには版画とは別の世界が生まれていた。
 「面白いよ、これ!」それはある種の存在感を主張していた。
 「これをやっていこうか」版木イラスト誕生の瞬間だった。

  自由な雰囲気の中で

 平澤さんが通っていた中央美術学園(中美)は中央線の吉祥寺と西武新宿線の武蔵関の中間にある。学生たちも多くは学園の周辺に住んで通っていた。全国各地から集まってくるアーティスト志望の学生たちは奔放で秋田育ちの平澤さんには刺激的だった。学園はオリやワクのない「動物園のようなものだった」という。
 イラストレーターの卵たちはプロをめざして出版社やデザイン会社に作品を持ち込んで何とか糸口をつかもうとしていた。しかし、イラストレーターという職業は注文主があってはじめて仕事が成立する。それには、まず、この分野ならこの人という個性と実績が必要だった。自分が描きたいもの、自分の存在を見いだせる絵は何だろうか?版木に彩色をしてはみたが、まだ自分の絵を見いだせずにいた。
 そんな悩み、混沌としている時期にある事件が起きた。


  公募展出品が目標

 同級生の一人が新人イラストレーターの登竜門である公募展『チョイス』に応募したのだ。コウボはたちまち仲間たちの間に流行した。何を描けばいいのか苦悶する若者たちにとって公募展は一歩前に進むための目標になった。「コウボだ!」とりあえず、自分が持っているものを使って、せっせと描きはじめた。いや、彫り描いていった。日比野克彦のヒビノスタッフでアルバイトをしたり、各種展覧会の会場アルバイトなどで生活し、日本グラフィック展や、いずみやクレセントコンペ、東京ガスカレンダーコンペなどに応募していった。
 しかし、20歳そこそこの若者たちには厳しい現実が待ち受けていた。2年、3年とたつ間に、中美の仲間たちもグラフィックデザイナーや他の職業に転職していった。イラストレーターとして活躍している仲間にはオウム裁判の新聞記事のイラストを描いている人もいる。需要があってはじめて成り立つ職業なのである。

  版木イラストで大賞

 アルバイトの傍ら、版木のイラストを描き続けていたある日、『ザ・チョイス』を主宰する玄光社から『ザ・チョイス大賞』受賞を知らせる電話が入った。約8,000点の作品の中から52作家の作品100点が入選、さらにその中から絞り込んだ1点が最高賞の大賞である。「本当ですか?」にわかには信じられなかった。これまでの公募展では何度か入選したことはあるが、『ザ・チョイス大賞』は新人イラストレーターにとっては格別なものがある。電話口で何度も確かめて、やっとうれしさがこみあげてきた。ついに最高の賞をもらった!何の確信もないまま版木にイラストを描きつづけて4年、感じていた手応えがようやく確かなものとして目の前に現れたのを実感した瞬間だった。

  粗削りの面白さも

 ここで、平澤さんのイラスト制作の過程を大ざっぱに紹介してみよう。
(1)まず、依頼主の要望にそったラフスケッチを提出。最終的な絵柄が決まったら紙に下絵を描く。
(2)カーボン紙をはさんで下絵を版木に写しとる。
(3)版画と同じように彫刻刀やノミで彫っていく。
(4)彫り終わったら、サンドペーパーで表面のケバをとる。
(5)アクリル絵の具で地の白を塗る。あとは各部を彩色し、最後にマーカーでラインの黒を塗る。
(6)できあがった版木イラストをスタジオで撮影してもらう。撮影したフィルムが印刷原稿になる。
 平澤さんの版木イラストは彫り跡がそのまま絵として現れるところが版画とは決定的に異なる点だ。版をいかにきれいに仕上げるかがポイントになるが、あまり意識しすぎると線に勢いがなくなり、版木イラストらしさが薄れる。
 「最近は彫る技術が上達したせいか、細い線も彫れるようになったけど、友人たちには最初のころの方が粗削りで面白かったと言われるんですよ」
 下絵に1日、彫りに1日、1点の作品はほぼ2日〜3日で仕上げるという。使用している版木は三層構造の普通のベニヤ板だ。彫るのは一番上の層である。合板なので彫りやすく、最近は手慣れたせいかスピードも速くなり、勢いがついて彫りも深めになった。
 「(作品の世界に)入り込んでいる時が一番楽しいですね」

  アニメでCMを作りたい

 仕事の依頼も『ケータイ着メロドレミBOOK』などの単行本の表紙や、『Jコム』(ケーブルテレビのフリーペーパー)、『アゴラ』(日本航空の機内誌)など、定期的に載るものも多くなった。日中は依頼主との打ち合わせや電話への応対などで制作に集中できない。ノってくるのは夕方からである。仕事が立て混んでいる時は翌朝まで作業が続いて、ほとんど昼夜が逆転する日も少なくない。趣味は何ですかという問いに「イラストを描いている時が一番楽しいから趣味もイラストでしょう」
 今度はアニメ、と目を輝かせて言った。キャラクターを版木で10枚ほど描いて、それを動く画像CMにするという。ハードな風合いの版木のイラストがアニメで動くという、剛と柔の組み合わせは素人にはなかなか想像できない。また新しい平澤一平の世界が生まれる。

(2000.9 Vol25 掲載)

ひらさわ・いっぺい
1967年、秋田市生まれ。秋田工業高校、中央美術学園卒業。1988年日本グラフィック展入選。
1989年JACA展入選。1990年日本グラフィック展入選。1991年ザ・チョイス大賞受賞。