五十嵐タイトル

 小柄で細身、静かな口調。切れ長の優しげな目つきで「子どもの頃から、けんかなんてしたことない」と語る。
 WBC世界フライ級チャンピオン。
 初挑戦で奪った王座だ。世界チャンピオンとして注目を集め、地元では由利本荘市民栄誉賞、秋田県民栄誉章受賞─。さらにオリンピック経験者として初めて防衛に成功した。
 めまぐるしく変わる周囲の状況にも、決して冷静さを見失わない。「ボクシングはひとりだけの戦い。でも支えてくれる多くの人の思いを受けての戦いなのだと学んできた」と語る姿は穏やかで、力強い。


家族でつかんだ王座
五十嵐2
 2012年7月16日、WBC世界フライ級タイトルマッチ。
 強打の王者ソニーボーイ・ハロに対し、スピードで応戦する展開。ボディーブローを連打、あるいは距離をとって攻撃をしのぎながら試合が進む。リングでは不思議と緊張感はなかった。何度も繰り返してきたイメージトレーニングで、どんな局面でも冷静でいられた。中盤以降も手数を落とさず、左フック、アッパーの連打。11ラウンドではハロのパンチで左まぶたを切って流血。血まみれになりながらも、ひるまずパンチを繰り出していく。迎えた最終ラウンドでも最後まで一撃を加え続けた。
 気迫と気迫。執念と執念─。
 戦いを終え、勝敗は3人のジャッジに委ねられた。判定は2─1で挑戦者。世界初挑戦で王座を奪取した。
 左目を腫らした新チャンピオンが立つリングに、励まし続けた妻・栄子さん(39)と長男・比呂くん(2)が駆け上がる。3階席には、いつも息子の体を案じてきた父・新一さん(62)、事あるごとに謙虚に生きろと言い続けてきた母・真智子さん(59)の姿。新一さんの手にはかわいがってくれた祖父・甚之丞さんの遺影がある。
 プロデビューから7年目。言葉にできない怒りや苦しみ、悔しさ、虚しさを味わった果てにつかんだ世界王座。家族で勝ち取ったチャンピオンベルトが放つ輝きはまぶしい。

五十嵐3階級にこだわり
 西目高校でボクシングを始めたのは「消去法で、なんとなく」という気軽さだった。小学校で野球部、中学校ではバスケットボール部に入ったが泣かず飛ばず。プロボクサー・辰吉丈一郎の試合を偶然テレビで観たときも「すごいと思ったが、興味は持たなかった」という。しかし始めてみると、インターハイや国体で優勝するなどすぐに頭角を現した。
 「ボクシングはきついけれど、面白かった。ただそれだけです。その先に何があるかは分からないが、いろいろなことを経験できた。たとえ勝っても自分より強い人はいくらでもいると分かっていた。自信はなかったが勝ちたかった。練習を多くやれば追いつける、追い越せると、気持ちだけは負けなかった」
 階級の存在も有利に働いた。どんな体格でも同じ舞台に立たなければならない団体競技と違い、ボクシングは個人の体重によって階級がある。小柄な五十嵐にはどのスポーツよりも合っていた。
 減量に耐えられる体であることも功を奏した。通常は5〜8kgほどの減量だが、7月の世界戦では13kgの減量に成功した。フライ級という階級に絶対のこだわりがある。
 「きつい減量に耐えることができて、計測を終えてうどんを食べた後、すぐにすっぽんやステーキ、うなぎなどを腹いっぱい食べることができる体です。次の日には6kgぐらい戻っているから、4階級ぐらい上の体重になって戦える。そういう体質であることや、練習できなくなるほどのけがと無縁だったこと。これらは鍛えてできることではなく、持って生まれたものだと思う。自分の武器のひとつだと思っています」

いばらの道を行く
 大学卒業後は秋田に戻ってアマチュアを続け、アマチュアのまま終わるはずだった。ところが卒業直前、思わぬ展開が待っていた。就職予定先から届いた、突然の内定取り消し。悲嘆にくれ、やむを得ずたたいたのがプロの門だ。デビューから世界王者までの7年は、いばらの道だった。
 「アマチュアとプロでは、ペース配分や一戦一戦の重みがまるで違う。アマチュアでキャリアがあったから、向かってくる選手の目の色も違った。プロのスタイルになじめず、自分に自信が持てませんでした。敗北を経験した後には、支え続けてくれたトレーナーと仲たがいしてかつてないほど苦しんだ。トレーナーも所属ジムも何もかもが信じられず、納得のいかない日々だった。それを乗り越えられたのは、やはりトレーナーやジム、支えてくれる周囲の人々の人間性にあったと思う。結婚したことも大きかった。新しい家族ができたことで、自分が変わっていくのが分かった。人との巡り合わせに助けられて、最初の頃は目指すことさえできなかったところまで来ることができたのだと思います。みんなに支えられ、育てられて、いまがある」

終わりのない戦い五十嵐1
 持ち味のスピードを生かしながら、相手と距離をとって技を繰り出すアウトボクシングが主体だが、相手の特徴によってスタイルを変え、技を使い分けていくオールマイティーでもある。7月の世界戦では、接近戦の手応えもつかんだ。どんな試合運びになるかは、イメージトレーニングが鍵を握る。
 「敗北の不安が少なからずある中で、最高のシチュエーションと最悪のシチュエーションのどちらもしっかりイメージする。どんな展開にも対応できないと意味がないから。いいことばかり起こるわけがないことは分かっている。でも最後は、心、技、体のやはり心が一番重要。強くなりたい、勝ちたいという思いを練習に込めて、100%のコンディションでリングに上がっていくんです」
 11月3日、初めての防衛戦。序盤はボディーブローを中心に連打で攻め、接近戦でも積極的に打ち合う展開だった。終盤は相手の反撃に遭って守りに回り、劣勢に。右の目尻と左まぶたを切り、流血で視界が狭まりながら気力で持ちこたえた。
 「防衛を続けていくのは、終わりのない戦い。この上に何があるかは分からない。それでもさらに上を目指したい」
 早くゆけ、早くゆけ、消えてしなわないうちに─。「EL DORADO(エルドラド)」(聖飢魔II)の入場曲に乗って、夢はまだ、果てしなく続く。

(2012.12 vol97 掲載)
いがらし・としゆき
1984年、由利本荘市生まれ。西目高、東京農大卒。高校でボクシングを始め、国体やインターハイなどで頭角を現す。2003・04年全日本選手権ライトフライ級連覇。04年アテネ五輪に唯一の日本代表として出場。06年帝拳ボクシングジムに入門し、プロに転向。08年日本フライ級暫定王者、11年日本フライ級王者。12年7月WBC世界フライ級王者のソニーボーイ・ハロとの対戦で勝利し、世界王者に。同時にリングマガジンの同級王座獲得。同年11月初防衛戦勝利。帝拳ボクシングジム所属。横浜市在住