Yoshimi Ishikawa 石川 好さん
秋田公立美術工芸短期大学学長・作家

人が物を生み、人が社会を変える。だから、人材育成は何よりも優先されなければならない。しがらみや利害にとらわれず日本を見てきたノンフィクション作家は、学長という人材育成の責務を与えられた時、自らも大学経営をゼロから学べるチャンスと捉えた。

ゼロからの出発大切に

 移民船に乗ってアメリカに渡った時も、手ぶらでした。誰ひとり知人がいない所でも、手拭いと歯ブラシひとつで一切知らないところから始める、これは私の人生の流儀です。
 しがらみや利害関係があると、そこにあらかじめ存在している価値判断の中に入っていってしまう。ですから何が正しくて、何が正しくないのか、分からない。知らないところに行く時は、何も分からないゼロから始める方がいい、という考えです。
 日本の社会もろくに知らない18歳の若者が、アメリカという巨大経済の裏側ともいえる季節労働者の生活を体験して、再び日本に戻ったのが23歳の時でした。そういえば、自分は日本について何も学んでいなかったと思い、慶応義塾大学に入りました。その時の同級生たちは皆18歳でしたから、そこでも一切のしがらみもなくゼロからのつきあいでした。
 1年前、美術工芸短大の学長に就任するまではサラリーマン生活というものを体験したことがない、まさしくフリーターでした。定職を持つことを拒否してきたわけではありませんが、自由なところに身を置いて自分の知らないことのその先に何があるのか見てみたいという欲求の方が強かったのでしょうね。


ほしい物が明確ではない

 これまで、いろいろな人に出会いました。なかには衝撃的な人物もいましたが、南米や中国の山奥で出会ったごく普通の農民がいいなと思ったりします。私は日本人が最も安心できる生活形態は「晴耕雨読」だと思っています。よく働き、よく学ぶ。しかし、戦後は晴耕の方にしか情熱を注いでこなかったため雨読によってもたらされるものが底をつき、安定していた生活形態が崩れてしまった、というのが現在ではないでしょうか。
 現在の日本の経済状況がなぜ停滞しているのか、難しく解説する人がいますが実は非常に単純なのです。
 経済というものは「ほしい物」がはっきりしないと成立しません。それでは今の日本は何がほしいのでしょう。テレビ?車?足りない物はありませんね。そういう社会では経済が動くわけがありません。人間が生きていく上で一番ほしい物と、足りない物が明確ではない社会は経済が停滞する。つまり今の日本には経済活動が成立する根拠がないのです。日本国内に1,400兆円の貯金があっても、ほしい物、足りない物がはっきりしないから死に金になっている。ほしい物があれば、貯金の1%でも動けば、アッという間に経済は回復します。欲望の精神が萎えているんですね。


若者の成長楽しみ

 戦後の50年間は「腹をいっぱいにしたい」「いい服を着たい」「家がほしい」という欲求から始まり、それを根拠に政治と経済のしくみがつくられてきました。法律や制度、行政も民間も、全部そうやってきました。今はその器に水がいっぱい入ってしまって、もうこれ以上は入らなくなった状態です。でも、今までそうやってきた人間はその器の中でしか生きられないわけです。
 現在の若者に対していろいろ言う人もいますが、私は悲観していません。我々の世代は、ほしい物を自分たちで手に入れましたが、現在の若者はほしいという欲望が発生する以前にそれらは社会や家庭で満たされていたから、我々と同一の価値観で論ずることはできません。こういう若い世代が日本をどうやって変えていくのか、やがて成長していくうちに自分たちに足りない物が分かってくるでしょう。彼らが自分で気がつくしかないのです。


余暇時間を有効に使う

 今後の社会はどんどんIT(Information Technology)化していきます。ITという情報通信の道具を持ったということは大変なことです。例えば、これからの携帯電話は表に液晶パネルなどがあって親指で押せば血圧や心拍数のデータを主治医に送信して診断してもらうこともできます。駅で突然倒れた時は、その場で主治医に連絡し診察してもらうこともできます。これは実用化の直前です。そういう技術の恩恵をいかに使うか。病院での待ち時間が2時間減り、その解放された時間を何に使うか。IT問題とは実はそういうことなんです。一人が一日5時間を節約したとすれば、1カ月で150時間の余暇ができます。その1億人の余暇時間が社会的、文化的にどのように配分されるか、どう活用するのかということをトータルで考えなければなりません。かつて無駄に過ごしていた時間が有効性を持ってトータルに生まれてくるのです。そこで何ができるのかということです。

人生を楽しむ方向へ

 日本人は楽しみ方がヘタだから、過剰な金が貯まったのです。アメリカ人なんか見てごらんなさい。貯金ゼロですよ。しかし、日本より景気がいい。楽しむためにお金をどんどん使うわけですから、当たり前です。お金というものはそれでいい。貯めるものではありません。貯めたら害を及ぼします。利息をつけなければならないし、金が金を生む構造になっていますからね。
 お金というものは動かして稼ぐのであって、動かさないで利殖を生むことはあり得ません。動かない金は経済を圧迫するし、金というものは人間と一緒に動くから、お金が動かないと人間も動かない。停滞するわけです。
 なぜ、日本人は一生懸命に貯金をするのかといえば、心配病だからです。80歳になっても老後の心配、若い時は結婚資金が心配、あれが心配、これが心配、というのでどんどん貯金する。もっと人生を楽しむこと、今を楽しむように自分自身を解放していくことが必要でしょう。


教育機関の充実を

 秋田は気に入っています。よく言われるように食べ物は美味しいし、生活環境もいい。ただ、困ることがあります。それは停滞しているということ。人的な動きが少ない。東京からいろいろな人をゲストに呼んでも、「秋田はもっとも来たことのない県だ」と言われます。青森や新潟、岩手はよく来るが秋田は訪れたことがないという人が多い。もう少し、県外の人が入ってきてもいいですね。
 なぜ、入って来ないのか、どこをどう変えなければならないか。それはパズルです。一つには日本の二極化構造があります。地方と都市に二極化してしまった理由は端的に言うと、地方には優れた高等教育機関がないからです。地方が高齢化したのではなく、若年層が大都市に流れていってしまったので平均年齢が高くなった。なぜ、流れていったか。それはやはり、優れた高等教育機関がないことに行きつきます。高齢者が多くなって社会負担が増し、労働力もないし、知的にもならない。痩せ細る原因は簡単です。社会が高齢化するからです。だから、高齢化を防いで人口のバランスを良くしなければ、活性化はしません。産業の活性化以前に年齢問題を解決しないと。全てはそこからです。


全国から集まる大学に

 秋田の毎年卒業する高校生4,500人は金の卵ですが、そのうちの3,000千人は外に出てしまう。秋田に残ってほしい優秀な人材が中央の大学をめざしてみすみす外に出ていくわけです。これもやはり、地元に優秀な人材をつなぎ留めるだけの優れた高等教育機関がないからです。
 秋田は47都道府県の中で最も教育にカネをかけない県です。山形や福島は県予算の2%近くを取っていますが、秋田は1%にも満たない状況です。教育に金をかけなくてどうして産業が育つのでしょうか。どうして人材が育つのでしょうか。日本では昔から、親というものはどんな貧乏をしても子どもだけは学校に行かせました。それが資源のない日本をこれだけ発展させたのです。
 高等教育機関というのは全国から学生が来るというのが大前提です。地元出身者で占められているというのは優れた高等教育機関とはいえません。県外から競って秋田の大学に入りたいというようになって、はじめて地元の優秀な人材も残るのです。教育の充実というのは何にも先がけて優先されるべき問題です。


人材育成が産業生む

 経済というのは人間がいて、それが動くことで始まります。人材育成が最大の経済です。大学があるなら、その大学に全国からどの位の人材が集まっているか、そこでどれだけ優れた人材を育てられるか。これは首長や政治家というリーダーたちの見識の問題です。「皆さんに払ってもらった税金でつくった大学で、私はこんな立派な人材を育てました」と胸を張る日本の政治家にはいまだお目にかかったことはありませんが、政治家の仕事はまず人材育成です。「私が総理になって日本の中学、高校、大学の学力がこの位レベルアップしました」というのが年頭の所感にあるべきです。これを言えるような首相が出たとき、日本は成熟した国家となるでしょう。人材があってはじめて産業もできるのですから。

失敗してチャンスがある

 秋田公立美術短大の学長就任を引き受けたのは正直に言うと、あまり知名度のない短大だったからです。有名な大学だったら私がやる必要はないでしょう。地方の、さして知名度もなく、経営面でも困っているだろうという大学だったらやりがいがあると思いました。何にでも言えることですが、トップは向学心がないといけない。私は学校経営というものを知らないし、知り合いもいない秋田ならゼロからやれる。ということは私にとって最大の勉強の場になる。単純にそう考えたのです。これまでの作家活動もあり、生活の場をすべて秋田に移すというわけにはいかないので、東京と往来しながらならという条件で引き受けました。
 今の仕事は、4年間あずかっているこの大学を面白い大学にすることです。教職員みんなで努力して全国から青年を集めたい。「あの大学にいってみたい」と思わせることが大学の使命ですから。現在は全国23の都道府県から学生が来ていますが、これはかなりいいレベルだと思います。直接講義をすることはありませんが、学生たちに常々言っていることは「ビビルな」ということです。尻込みをするな、人生の成功は失敗した人にしか訪れない。失敗するチャンスを恐れるな、失敗するチャンスを持った人にしか成功するチャンスは訪れない、と。短大の経営者としては「秋田の大学にいきたい」と、全国の若者、そして秋田の若者にも注目されるような短大にしたいと思っています。そうなるには、まず秋田県民が、この大学を大事にしてくれることが必要ですね。

(2002.3 Vol33 掲載)

いしかわ・よしみ
1947年、伊豆大島生まれ。高校卒業後、長兄をたよって渡米、農業に従事。5年後に帰国し、慶應義塾大学に入学、1974年に卒業。日米関係、日系移民史を軸に多彩な執筆活動を展開。異色の作家・評論家として注目された。1989年、『ストロベリー・ロード』で第20回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に『カリフォルニア・ストーリー』『鎖国の感情を排す』『新・堕落論』『親米反米嫌米論』『大議論』『孫正義が吹く』など多数。2001年4月から秋田公立美術工芸短期大学学長。