Akiko Itou 伊藤 明子さん 

グラスにそそぐ音を聞き、色合いを見さだめ、 立ちのぼるかすかな香りを聞く。
ころがすように舌先でとらえた味に、ほのかに香り、まどろむ余韻。
日本酒は花になり、果実になり、大地を覆う森になる。

 例えば、秋のひやおろし。
 冬場に仕込み、春先に火入れしたあとは深い静かな眠りにつく。蔵のなかで夏を越し、程よく熟成された酒が秋の訪れとともに生詰めされる。酒の温度と気温とが同じ温度になったころ、火入れせずに冷やのままで下ろすことから、ひやおろし。蔵のなかで経た時間が新酒の荒々しさを取り除き、まろやかな旨みと深みのある味を引き出す。穏やかで落ち着いた香りと、濃厚でコクのある味わい。秋刀魚や秋茄子をはじめとした秋の味覚にこれほど合う酒はない。


四季折々の風情で

 春は桜と純米酒、夏は枝豆やなすびがっこと涼しげなグラスについだ冷酒。秋の味覚にはひやおろし。冬は冷え切った体を鍋と燗酒で温める│。
 いにしえの昔から、四季折々の風情のなかでたしなまれてきた日本酒という文化。その楽しみ方の幅を広げたのは女性だろう。酒とつまみを味わうのではなく、各地で開催される女性向けの日本酒イベントで知識を深め、イタリア料理やフランス料理との相性を知り、美容効果に注目する。日本酒造組合中央会が三十〜四十代の女性をターゲットに展開している「Osakeテラピー」では、日本酒は伝統食品であるとともに「おいしく飲んで癒される。生活気分に合わせて楽しめる」として提唱されている。日本酒が持つかつてのイメージとは明らかに違う。ワインのように、カクテルのように、女性が心を寄り添わせ、ゆったりと味わい楽しむおしゃれなアルコールになった。
 女性きき酒師のひとりであり、秋田清酒(株)(仙北町)の営業担当として海外を飛び回る伊藤明子さんは、日本酒の魅力は「幸せになれること」と言う。日本酒は体にいい、肌にいいが、それだけではない。日本酒本来のたしなみ方である料理との相性にこだわっている。
 「料理に合った日本酒は、料理をいっそうおいしくする。おいしいものを食べれば、だれもが幸せな気分になる。きき酒師は、ワインのソムリエのようにお酒の味や香りを伝えますが、料理との相性や器を提案するコーディネーターの役割もある。お酒をつまみだけで飲むのではなく、料理をおいしくいただいて、お酒をおいしく飲んでいただける提案をしていくのが役目です」
 きき酒師の資格ができて12年。現在、秋田県内で資格を持つ人は78人、そのなかで女性は5人だけ。そのひとりである伊藤さんは、蔵元の隣家で生まれ育った根っからの日本酒ファンであり、日本酒にかかわる提案をしながら伝統文化を伝える日本酒PRコーディネーター。かつての日本酒のイメージを越えた涼やかな容姿と、バレエが趣味という意外性も魅力的。「ピアノの音に合わせて体を伸ばすと気持ちがいいんですよ」とほほえむ。


五感で味わう変化

 日本酒を利く。香りを聞く─。きき酒師という言葉は、日本酒と同じように奥が深い。
 「お酒を利くには、人が持っている五感のすべてが必要です。初めは、音。日本酒をグラスにそそぐときの音を耳で聞き取ります。次に、色。そそがれたときの明るさや濃淡などの色合いを見ます。そして、香り。華やかなもの、さわやかなもの、ふくよかなもの…。お酒の特徴をつかむには、果実や花などに例えられる香りが最も重要なんです」
 さらりとしたものや、とろみのあるもの、透明感や濁り具合、みずみずしさや輝きをとらえるのが耳と目。日本酒をグラスにそそぐときには、立ちのぼってくる香りを感じ取る。ライチやメロン、かりん、洋梨、巨峰などの甘い果実や、バラや金木犀などの花に例えられる華やかな香りに、柑橘系の果実やハーブのさわやかな香り、香ばしさを感じさせる穏やかな香り、米や穀物を思わせるふくよかな香りなどに表現される。それらはさらに、温度や時間の経過によって微妙に変化する。
 「色や香りを感じたら、口に含んで味わいをみます。口の中で舌の上をころがすようにして味わって、甘味や酸味、辛味、苦味、渋味の味覚と変化する香りをみて、重さや軽さ、とろみやふくらみ、押しや切れなどを舌先の感触で判断します。飲み終えたときの後味も重要。私は比較的、適当なんですけれどね」
 日本酒の利き方を話すとき、右手の指先は自然と架空のグラスをつかむ。かすかにグラスを回転させて渦巻かせ、ほのかな香りを立ちのぼらせる。五感のすべてを使って味わい、可能な限り言葉を駆使して表現するのがテイスティング。味わいと香りだけでなく、とろみやふくらみ、押しや切れなどの複雑な触感から余韻までを立体的にとらえる。これらは互いにからみあいながら、時間の経過とともに変化するため瞬間を逃さない集中力が必要だ。そして、判断したひとつひとつのポイントをトータルでとらえ、相手に伝えるために想像力を働かせる。
 「日本酒が好きだったこと。子どものころから身近な存在だったこと。それだけの気持ちで日本酒の勉強を始めましたが、奥の深さに圧倒されました。酒質や技術の繊細さ、味わいや香りの違いはまったく計算できない世界。日本人しか持ち合わせていない感覚なのだと思います」
 マレーシアや香港、台湾、アメリカなど海外へ出向き、試飲してもらうため一升瓶を片手にレストランを歩き回る伊藤さんは、日本酒を「日本の酒」「日本の伝統文化」としてとらえている。その背景には、きき酒師に興味を持つより前に留学していたフランスでの苦い思い出がある。


酒の魅力に気付く

 生まれ育った南外村にある蔵が、慶応元年創業の出羽鶴。ここの庭は、伊藤さんが幼いころ楽しく過ごした遊び場だった。
 「蔵の庭に大きな木桶が転がっていて、そこでよく遊んでいたんです。弟と一緒に過ごしたり、仕込みの時期には蔵のまわりから漂う麹のにおいで季節を感じたり。お酒のにおいも、蔵のたたずまいも、いつも身近にありました」
 以前からフランスに興味を持ち、会社の夏休みなどを利用して何度かフランスに短期留学。国籍も年齢もさまざまな友人たちとの共同生活が刺激的だった。ある日、食卓を囲んだときに日本の酒の話題で盛り上がった。「私にとって日本酒は身近な存在のはずなのに、みんなからの質問攻めにまったく答えられなかった。日本酒の知識がまるでない。それがとても恥ずかしかった」。ウイスキーやワインとは違う異国の酒を興味深げに聞く友人たちに、きちんと説明ができたらどんなによかったことだろう─。悔しい気持ちが心にずっと引っかかっていたという。
 2001年8月に退社したあとも、伊藤さんを魅了してやまないフランスへ留学。しかし、所用で帰国していた11月、父親が突然、病に倒れてしまった。本格的にフランスで過ごす予定だったが、「今は父のそばにいたい。フランスはどこにも逃げはしない」と南外村に帰郷し、父の介護を始めることになる。東京からフランスへ、フランスから秋田へ。環境と文化が変化する生活のなかで思い立ったのが、幼いころから身近にあった日本酒の仕事。日本酒という日本の伝統文化を広く伝えたいとの思いがあったが、知識を身につけ、仕事の武器にするためにきき酒師の資格が必要だった。病室で勉強する伊藤さんのかたわらに寝ている父も、かつて出羽鶴の蔵で一緒に遊んだ弟も、いずれも秋田清酒(株)に勤めていた。「日本酒の仕事をするようになったのは自然の流れ。私はもともと、この方向に進むと決まっていたのではないだろうか」と、今は宿命に似たものを感じているという。
 きき酒師に認定されてからはフリーランスで活動。引き受けていた試飲販売がきっかけで、今年から秋田清酒(株)の営業担当に。海外へ広くPRする役割を担うとともに、日本酒イベントのコーディネートを引き受ける。角館町で行われたイタリア料理と日本酒のイベントでは、春野菜を使った料理、冷たいパスタなどの味を引き立てるために料理に合う日本酒をコーディネート。全国各地で開催されるイベントにも蔵元として参加し、女性によるきき酒コンテストや、音楽や落語とのコラボレーションでのにぎわいを目の当たりにしている。「東京やフランスにいた時間は、私にとってプラスでした。違う世界にいたからこそ、今こうして楽しく仕事ができているんだと思います」


二つの蔵の対照性

 「秋田清酒(株)の刈穂蔵は、男性と女性で言えば男性。水は中硬水で山廃仕込み。硬く、切れがあって力強い。蔵には雨上がりの森を覆う湿ったにおいが漂っていて、どこかモダンな雰囲気があります。一方の出羽鶴蔵は、地元に根づき愛され守られてきた歴史のある蔵。軟水を使った女性的なやわらかさとやさしさが特徴の酒。刈穂と出羽鶴。ふたつの蔵はとても対照的なんです」
 日本酒を醸す蔵の姿勢と、高度な技術に裏打ちされた杜氏の勘、蔵人の技。日本の文化を守る使命とはまた対照的に、伊藤さんには日本酒から想像されがちな演歌よりも、バイオリンやピアノ、ハープなどのアコースティックな音色が似合う。
 しかし、そのしなやかな体と感性で向き合うもっとも好きな日本酒は、力強さと辛味が効いた昔ながらの山廃仕込みなのだという。ひとつのイメージに収まらない意外性と、それでも違和感なく溶け込む人柄が、ひとくちで心ほぐれるひとときに花のように香り立つ。

(2003.11 Vol43 掲載)

いとう・あきこ
南外村出身。外資系のブランド会社等の勤務を経て2002年3月南外村に帰郷。同年きき酒師の認定を受けフリーランスで活動の後、秋田清酒(株)と契約。営業は主に海外と北海道を担当。きき酒師の仕事にとどまらず日本酒PRコーディネーターとして幅広く活動している。