250ccのエンジン音がにわかに鳴り響いた。こだまするほど高鳴る音に、徐々に観客のボルテージが上がっていく。
 躍動する音とともに、地面を蹴ったバイクがジャンプ台へと突っ走る。轟音を上げながら斜面を駆け上がり、ふわっと空中の高みに舞い上がった。
 バイクに乗ってジャンプ台から跳び上がり、華麗で過激な離れ業で魅せるフリースタイルモトクロス(FMX)。その日、特設会場に設営したジャンプ台の周囲は熱気に包まれていた。


鳥肌立つスポーツ

 「これまで脇目もふらずにいろんなスポーツをやって、見てきたけれど、フリースタイルモトクロスを超えるほど格好いいと思えるスポーツには出合わなかった。見ていて鳥肌が立ったのはこれだけ。初めて見たときは本当に衝撃的だった」
 全日本チャンピオンになるなど日本のトップライダーとして活躍した経歴を持つ加賀 真一(32歳)。モトクロス(MX)とFMX界における、押しも押されもせぬ実力者だ。
 MXはオフロード用のオートバイを使って行われるレース。一般の舗装道路ではなく、モトクロス専用の土の露出したダートコースや起伏に富んだ丘陵、斜面などを走破して順位を競う。急斜面を駆け上がり、体とバイクを傾けてコーナーを回り、凸凹のコースを体でとらえてジャンプする。進行とともに変化する路面コンディションや天候にも左右される過酷なレースだ。
 一方、速さではなくトリック(アクション)の完成度を競うスポーツとして1990年代に始まったのがFMXだ。バイクを走らせジャンプ台を使って跳び、空中でバイクを操りながら華麗な技を繰り広げる。高さや華麗さ、難しさ、あるいは離れ業の危険さといった過激な要素が売りのエクストリームスポーツのひとつ。空を飛ぶような格好でジャンプするスーパーマン、難易度の高いバックフリップ(後方宙返り)などのトリックが観客を熱狂させる。
 「ショーアップされたなかで跳ぶFMXは、エンターテインメント性やスポーツとしての質がほかとはまるで違う。いろんな人にFMXを見てもらいたい。そうじゃないと、自分たちがここまでやってきた意味がない」

だまされて参戦
 初めてレースに出た日のことを覚えている。モトクロスにのめり込んでいた父・一俊さん(55歳)が通っていたオートランド秋田(旧協和町)。ここで4歳からミニバイクに乗り始め、5歳になったころに父や周囲の大人たちに言われたのだ。「今度のレースには、おまえみたいな子どもがたくさん来る。だからおまえも一緒に出てみろ、面白いぞ」
 「ほかの子なんかに負けないぞ」と楽しみにしていたレースだが、当日、子どもはひとりも来なかった。レース出場者は大人ばかりで、子どもは自分ひとりだけ。だまされた悔しさとレースへの恐怖心で、泣きじゃくった。何よりも、目の前に立ちはだかる壁のような急斜面が怖かった。
 「どんなに怖くても、どんなに泣いても、一度レースに出て恐怖心を超えてしまえばこっちのもの。周りの子どもたちがまだ補助輪付きの自転車に乗っているころ、それには乗れないくせになぜかバイクには乗れた。バイクなら足でこがなくても安定する。でも速くなりたいなんて思わなくて、とにかく体を使って自分の思うように操れるようになるのが面白かった。5歳で初めてレースに出てから、とにかく毎週末、バイクに乗るのが楽しかった」
 泣きじゃくる少年の前に立ちはだかり、モトクロスの世界を教えてくれた急斜面がライダー人生の原風景だ。

あこがれのレースへ
 小・中学生で全国各地でのレースに参戦。高校に入ったころにはMXの国際B級ライセンスを取得、全国レベルのレースを転戦した。そのころあこがれていたのが、アメリカのスーパークロス。スタジアムに土砂を運び込んで造られた変化の激しいコースを駆けめぐるレースだ。国際A級ライセンス取得後は、高校を卒業してプロに転向。日本で賞金を稼ぎながらアメリカに拠点を持ち、きらびやかなスーパークロスの決勝レースを夢見て予選を走り続けた。ロサンゼルスからテキサスまで車で20時間かけて行き、予備予選に落ちて帰ってきたこともある。
 「アメリカと日本とではすべてが違った。個人の実力はもちろん、レースへの慣れやマシンがまるで違う。どうしてもアメリカのチームに入りたくて、手書きの企画書を持って直談判に行ったことがある。鼻で笑われながら『おまえにやるバイクはない』と言われ、見学だけして帰ってきた。でも自分から動かなければ、誰も何もしてくれないのがアメリカ」
 結局、メーカーとの契約に支障が出る事態となったため2年で断念。あこがれの決勝に進むことなく帰国した。

バイクの面白さ
 帰国後は125ccで全日本3位、2002年には念願の全日本チャンピオンに。250ccに転向後はスズキのトップチームに所属した。
 自分を追い込みながらスピードを競うMXレースに対して、アメリカのロデオ場で初めて見て魅了されたのがFMX。速さだけでなくジャンプのスタイルを競う、いわばコンテストだ。
 「FMXは、絶対に日本でもやるべきだと思った。過酷でストイックなMX、過激でスリリングなFMX。どちらでもバイクを操れれば、相乗効果が生まれるはず。当時、この両方をやっていたのは自分だけ。年配の人には『あんなものは派手だし、危険だ』と言われたけれど、危険なのはMXも同じ。単純に、バイクの楽しみ方が増えたのがうれしかった」
 FMXに取り組み始めたときに感じたのが、子どものころ、ミニバイクに乗って遊んだときの感覚だ。
 「MXでは、スタートラインに並んだときに負けないように、とにかく人よりトレーニングを積んで自分を追い込んでいった。でもFMXは、昔のように無邪気に遊べたのがうれしかった。体よりも、そういう感覚、気持ちよさ。こんなスポーツがあるんだって、その面白さをもっと広めていくべき使命感のようなものがある」
 戦力外通告を受けた後も共同でチームを立ち上げ、参戦を続けた。秋田に帰郷後は、サーフィンやスノーボード、スケートボード、モトクロス関連のショップを経営しながらレースやイベントで国内外を飛び回る日々だ。
 帰郷した当初、かつて練習場だったオートランド秋田は荒れ放題だった。コースが分からないほどに木や草が生え、地面に大きな穴が空いていた。協力者を得て整備を重ね、いまはここで大会も開く。大切にしてきたライダー仲間たちが秋田に足を運ぶようにもなった。
 山肌を削り、地面を踏み固め整備されたオフロードの正面にそびえるのは、山へと駆け登る急斜面。子どものころの風景そのままの姿が、いまも目の前に立ちはだかっている。
(2010.12 vol85 掲載)

かが・しんいち
1978年、秋田市生まれ。秋田県立男鹿工業高校卒業。MX(モトクロス)、FMX(フリースタイルモトクロス)ライダー。4歳からバイクに乗り始め、18歳で国際A級ライセンス取得後、プロのライダーとして国内外のレースに参戦。2002年、全日本MXチャンピオン。04年から3年間、スズキファクトリー所属。07年、チームK&Sを結成して活動後、08年に現役MXライダー引退。現在、オートランド秋田(大仙市協和)を拠点に国内外のレース、イベントに参戦中。秋田市在住
○Shortage clothing store(ショーテージクロージングストア)
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