Masato Kato 加藤 正人さん
脚本家

脚本を書くことは、人間を描くこと。人の思いを描写すること。細やかな感情を丁寧に描けば、ドラマに綾が生まれていく。

人の思いを描写する

 「登場人物には、一人ひとりに明確な動きがある。どういう意図でなぜそういう行動をとるのか、どんな感情に基づいて動き、相手にどんな影響を及ぼすのか。ひとつの行動をとるまでの間に、悩んだり、悲しんだり、喜んだり。人にはいろいろな思いがある」
 能代市の中央公民館。この日のシナリオ講座のテーマは「悲しみ」。受講生それぞれが原稿用紙十枚につづった作品を教材にして、「悲しみ」の描き方、脚本の書き方を加藤さんが講義する。悲しみを際立たせる「技」を教えるために例として示すのは、心中に追い込まれる男女の悲劇を描いた近松物の場面やハリウッド映画のワンシーン。これまでに観た映画やテレビ、舞台、小説、そのパターンや効果まで事細かにインプットした記憶のなかから「悲しみ」の場面を提示する。
 「絶対的な幸福や悲しみは描写しづらく、人は比較でしか物事を量れない。始めに悲しみとは逆の要素をたくさん作っておいてクライマックスを盛り上げたり、我慢して我慢して風船のようにふくらんだ思いを、何かのきっかけで堰を切ったように吐き出したり。物事と感情表現に時差をつけることも、悲しみを際立たせるには効果的」
 さまざまな映画のシーンを思い浮かべるうちに、いつの間にか、「悲しみ」を描くいくつかのパターンがあることに気づく。
 映像化を前提とする脚本には、話の流れや掛け合いひとつにも小説とは違った所作があるという。読む言葉と聞く言葉は違うこと。人を動かさなくとも、小道具だけで表現できること。感情を抑え、距離感を持ちながら節度を持って描くこと。多くの登場人物が存在する映画のなかで、一つ一つの役に愛情をそそぎながら、人の思いを丁寧に丹念に描いていく。
 「人間の思いを描写するのが脚本。細やかな感情を丁寧に描写すれば、エピソードが有機的につながってドラマになる。描写することで『綾』が生まれていく。話に綾が生まれれば、ドラマに深みが増してくる」

映画に魅せられて

 脚本家としてのデビューは三十歳。早くもなく、遅くもなく、映画人はこれぐらいの年齢でデビューするのだという。
 「映画の世界は、若い人には勧められない。貧乏が平気でなければいけないし、ひどい思いをいっぱいするので…。苦労をしても平気で他人に甘えながら、夢を追い続ける人じゃないとやっていけない」
 「苦労」や「貧乏」といった言葉があっさりと出てくる。穏やかな口調や物腰との対比が何とも印象深い。
 「『熊の唄』の八木隆一郎、文学座『結婚の申し込み』の伊賀山昌三…。能代市は脚本家の出る町なんです。だから、能代からもう何人か出てほしい。シナリオ講座は、そんな意図があって始めました」
 出身地である能代市にはかつて、映画館が五館あった。市川雷蔵や大川橋蔵、座頭市、若大将シリーズ、愛と死をみつめて…。子どものころから数々の作品に魅せられてはいたが、映画の世界に入ろうと心に誓ったのは高校時代。一年の夏、夏期講習で予備校に通おうと上京したが、一カ月、映画館に入り浸った。「一千万映画」といわれる低予算の実験的作品を製作するATG(日本アート・シアター・ギルド)の大島渚作品、名画座でのフェリーニ作品…。刺激的な映画を見続けたこの一カ月間で、心は決まった。
 「高校生活は、映画の世界に入るために暮らした感じ。人との協調性がなく、私ほど学校に行かなかった生徒はいないし、私ほど本を読んだ生徒もいないと思う。学校を抜け出して海岸に行って本を読んだり、パチンコやビリヤードをしたり、父が持っていたゼンマイ式の8ミリカメラを持ち出したり、映画のためになることばかりしていました。十五から十七歳という時期に、本を読んでいて本当に良かった。自分の血となり、肉となっている」
 高校卒業後は能代から東京へ。大学では映画研究会に所属。人間関係が苦手な性格に加え、映画の現場に行くチャンスに恵まれなかったこともあり、ひとりで勉強できる脚本家を目指し始めた。

ロマンポルノが出発点

 書く仕事は、プロットライターから始まった。脚本コンクールに応募し、最終選考に残った加藤さんにプロデューサーが声をかけたのがきっかけだった。プロットライターとは、企画のためにストーリー作りをするライターのこと。シナリオになる前の段階であり、決して名前の出ない仕事。居酒屋やバッティングセンターでアルバイトをしながらプロットライターを五年ほど経験し、一九八四年、にっかつロマンポルノで脚本家としてデビューする。現在、テレビドラマの脚本で活躍する北川悦吏子、伴一彦、映画監督の根岸吉太郎や故・相米慎二もロマンポルノが出発点だった。
 「ロマンポルノは、一本の映画のなかに裸のシーンが三、四回あれば、どんなことをしてもいい映画。ひとつのタイトルを与えられて、あとは自由に、好きに書かせていただく。ぼくは、ロマンポルノ時代の最後のほうにやっと間に合った世代。やらせていただいたことに満足感とプライドがある」
 新聞の映画評記者などをしながら年間六本書いたこともあるロマンポルノが終わりを告げ、「脚本家は廃業かな」と思ったころ、東映のVシネマに誘われる。ここでアクションや任侠物を書き始めてから、仕事が途切れない現在の状況ができてきた。最近ではNHKハイビジョンドラマ「水の中の八月」や柳美里原作の映画「女学生の友」(東宝)で脚本賞を受賞。映画を中心としながらVシネマ、テレビ、ゲームソフトまで幅広く活動する。
 「テレビの脚本をたまに書くと、能代の皆さんが喜んでくれる。映画を書くために脚本家になったから、仕事はあくまでも映画が主体。ぼくは恋愛映画が好き。甘い恋愛を描けたらいい」

脚本は人間を貫くこと

 伊集院静原作の『機関車先生』(昨年、脚本化)。これを映画化する場合、脚本に原作の台詞をそのまま使うことはない。映像のなかで台詞になったとたん、急にリアリティのない言葉になってしまう。また、連載小説というのは「数珠繋ぎ」のようなもの。一話ごとに盛り上がりがあり、それが最後までつながっていく。しかし、映画はひとつのストーリー。口の利けない剣道の先生というキャラクターの魅力を生かしながら、一つ一つの役柄に動機や感情の機微を与えてクライマックスへと盛り上げていく。原作と脚本とでは、組み立て方がまるで違ってくる。
 「脚本を書くことは、人間を描くこと。人間の感情を描いていく。だから、原作を読んで魅力的なキャラクターがいれば、どうにかして動かしてみたくなる」
 脚本を書くとき重要なのが取材。「脚で書くのが脚本だから」と、綿密に取材する。好奇心や観察力も必要だ。しかし、与えられたタイトルが「痴漢日記」の場合、痴漢は犯罪であり、悪い人間は描きたくない。そこで「だれにでもいいところがひとつはあるはず」と、痴漢を生きがいとする人に三回、取材した。結局、その人に人間として良い部分を見つけることができず、取材をしながらもまったく架空の人物を描くことになったという。
 取材は綿密だが、遊びもある。「この冬は根岸吉太郎監督と北海道に行きますよ。半分は取材。あとの半分は温泉に入って、うまいもの食べて…」と楽しそうだ。


まだ「五合目」の脚本家

 執筆のときは自室にこもる。取材を重ね、整理する。しかし、まだ脚本として書くことはしない。出来うる限りためて、ためて、高いテンションのときに一気に書く。気分転換は必要ない。お酒を飲んだり、眠ったりすれば高めたテンションが落ちて執筆が途切れてしまう。寝食を忘れて、内部にため込んだものを一気に吐き出す。こうして書き終え、プロデューサーと話し合い、闘い、一本の脚本として現場に渡す。劇場で映画を観たお客さんが感動してくれたとき、「思いが通じた」とうれしくなる。だからこそ、また映画を書きたくなるのだという。
 「脚本家として、自分はまだ五合目ぐらい。もっとうまく書けるようになりたい」
 苦労を重ね、叩き上げで地位を築いた現在でも自分はまだまだなのだという。「ちょっと、十分ほどいいですか」と、取材の合間にシナリオ講座受講生が書いた原稿に向き合う。撮影のときも、ひとり、壁に向かって原稿を書く姿があった。「まだ五合目」と話す謙虚さと野心を内に秘めて、脚本家は万年筆を走らせていた。

(2003.3 Vol39 掲載)


800/TWO LAP RUNNERS
(1994年、アルゴピクチャーズ)
監督:広木隆一
脚本:加藤正人
出演:松岡俊介、野村祐人、
有村つぐみ、
袴田吉彦 ほか

三たびの海峡
(1995年、松竹)
監督:神山征二郎
脚本:神山征二郎、加藤正人
出演:三國連太郎、南野陽子、
風間杜夫、隆大介、
永島敏行 ほか

ゲレンデがとけるほど恋したい。
(1996年、東宝)
監督:広木隆一
脚本:加藤正人、宮島秀司
出演:清水美砂、大沢たかお、
西田尚美、
鈴木一真 ほか

女学生の友 
(2001年、東宝)
監督:篠原哲雄
脚本:加藤正人
出演:山崎努、前田亜季、
野村佑香、山崎一、
毬谷友子 ほか

天国への階段
(2002年、日本テレビ)
演出:鶴橋康夫、岡本浩一
脚本:池端俊策、加藤正人
出演:佐藤浩市、本上まなみ、
加藤雅也、中村俊介、
古手川祐子 ほか


かとう・まさと
1954年、能代市に生まれる。1972年、秋田県立能代高等学校を卒業。同年早稲田大学社会科学部に入学し、映画研究会で自主映画を製作。1978年、大学中退。プロットライターを経て1984年、にっかつロマンポルノで脚本家としてデビュー。同年日本シナリオ作家協会に入会。以後、映画、Vシネマ、テレビを中心に活動する。1999年、NHKドラマ「水の中の八月」にてモンス国際映画祭最優秀脚本賞受賞。2001年、映画「女学生の友」(東宝)にて菊島隆三賞受賞。現在、日本シナリオ作家協会常務理事、日本映画学校専任講師。東京都品川区在住。