Tomoko Katori 香取 智子さん
オルガニスト(アトリオン音楽ホール専属)

小さなオルゴールの音色から、たて笛やフルートにも、オーケストラにもなる楽器、パイプオルガン。音をつくり出す快感と音を奏でる喜びをたずさえ、世界の平和を祈って音楽の道を歩みつづける。

 パイプオルガンの響きは、どう表現したらいいのだろう。
 背後から「シュー」とパイプへ吹き込む空気の音。指先で軽く鍵盤を弾けば、「ファー」と鳴り響いて体全体を包み込む荘厳な音色と空気の波打ち。ゼンマイ仕掛けのオルゴールのようにかすかに震える微音から、天上高くへ幾重にも重なり合う和音まで。喜びや悲しみ、怒り、笑い、苦悩、ため息、愛情、瞑想…。そんな人間の感情のたゆたいを重厚で細やかな音の装いに変えて、すべての表情を出しつくそうと鳴り響く。繊細にも、大胆にも紡がれ重なり合う音色に宇宙的な無限の広がりを感じずにはいられない。
「パイプオルガンの魅力は、弾いたときに体で気持ちよく感じるこの感覚でしょう。そして、ひとりで音をつくって、ひとりでオーケストラになれること」
 そう話しながら、いすに腰掛けて両手と両足を軽やかに動かし、オルガンの両脇のつまみを引っ張っては鍵盤を押して音を鳴らす。手がソプラノやアルト、テノールを高らかに歌えば、足はコントラバスやチェロの音を奏で始める。音を弾き鳴らすより、まるで機械を操縦するかのよう。それは、荘厳な音をつくり出す音楽の創造主。天上に鳴り響く音があるとすれば、きっとこんな音に違いない。


バッハに魅せられて

 パイプオルガンとの出合いはそれほど早いわけではない。五歳から始めたピアノのレッスンは、母親の「やりたければやる。やりたくなければやめればいい」との方針から比較的のびのびと教育を受けた。
 幼稚園のころから「私は将来、音楽をやるの」と話していたという香取さん。すでに自分の道を決め、音楽だけに打ち込むより知識の幅を広げたほうがいいからと、普通高校に通いながらピアノやソルフェージュ(音感教育)、作曲の勉強を積み重ねて国立音楽大学へ。ピアノ専攻に進んだものの、香取さんにはピアノを弾くほかの人たちより特に情熱を抱いていたものが心のなかに存在した。それは、バロック時代の音楽家・バッハ。香取さんは、恋をしていた。
「あれは小学校四年生のとき。バッハのインベンションやシンフォニアをピアノでレッスンしていました。モーツァルトやショパンとはまったく違う音楽をどう弾けばいいのか分からなくて、おもしろくなくて…。でもある日、テレビでピアニストがバッハを弾く姿を見て目覚めたんです。初めて本当のバッハの音を聴きました。それ以来、バッハと離れたことは一度もありません」


バロック音楽への憧れ

 「一度弾き出せば、テンションが落ちることなく突き進む。普通じゃない。天才ですよ」と評するバッハは、ピアノという楽器が存在する前に活躍した時代の音楽家。曲を生み出したのは、教会で音を奏でていたパイプオルガンやチェンバロといった鍵盤楽器。香取さん自身がまだ弾いたことのない楽器から、バッハの音楽はつくられていた。
「ピアノでバッハを弾くのも十分可能なことだと思います。でも、ピアノが存在する前に生まれたバッハの音楽を当時の楽器で奏でてみたかった」
 ピアノ科の四年生で進路を迷っていた香取さんは、バロック音楽への憧れを思い出したかのようにオルガン科に編入。大学院卒業後はスイスのジュネーブ音楽院に進学して音楽の知識とオルガンの腕を磨いた。ここでバッハが活躍したバロック時代の音を追い求め、学問的なことだけでなく人の心をふるわせる「音楽」としてのオルガン教育を受けたことが香取さんをオルガニストの道へと導くことになる。
「パイプオルガンは楽器と建物とでひとつの空間を造ります。教会での残響音の長さ、響きのすばらしさ…。スイスに行って、オルガンがおもしろいと実感できました。教わった先生は、学問としてよりも音楽的なオルガンの魅力を教えてくれる方でした。環境にも恵まれて、節目ごとにはやはり『音楽で生きたい』と思ってきた。でも私は、流れに身をまかせて動いてきただけ」
 そうさりげなく話す香取さんだが、ジュネーブ音楽院では最優秀賞や特別賞を受賞。世界各地でのソロコンサートやオーケストラとの共演など、フリーのオルガニストとして幅広い活動を情熱的にこなしてきた。一九九一年六月にはアトリオン音楽ホールの公募により専属オルガニストに選ばれて秋田へ。音楽ホールでのソロリサイタルや、月に一度開かれる「昼のプロムナードコンサート」、小中学生を対象にパイプオルガンの演奏とおしゃべりで送る年五回の「ピクニックコンサート」のほか、今や百五十人もの修了生がいるオルガン講座の講師も務める。そのかたわらで、現在はクープランやグリニなどフランスの古典音楽に夢中だ。
「フランス古典は装飾豊かで、自由で、エスプリに満ちあふれている。でも最終的に行き着くのは、やはりバロック音楽のバッハでしょうね」
 その彩り豊かな音色、心に響くリズム、美しく深く、生き生きと伸びて天上へ広がりゆく音の不思議。パイプオルガンの音色は、ほかのだれでもない香取さん本人を魅了し続ける。


オーケストラにもなる

 パイプオルガンは、はるか紀元前までさかのぼる歴史の古い鍵盤楽器。古代ローマの円形闘技場では競技を盛り上げ、教会では信仰と神への賛美を奏でた楽器。アトリオン音楽ホールのステージ正面に舞台装置のように備え付けられたフランス製のオルガンは、高さ約十一メートル、幅約八メートル、奥行きは約三メートル。小さなものから舞台上にそびえる大きなものまでパイプの数は3,072本。このマシーンのような楽器からどうやって音が出るのだろう?
「パイプオルガンは、楽器としては難しいものです。ひとりで音をつくり出して、ひとりでオーケストラになるわけですから」
 鍵盤楽器でありながら、構造はまるで管楽器。ステージ上で光り輝くパイプはオルガンの裏側にも並び、下部にあるモーターから空気を送り込んで風圧でパイプの音を響かせる。パイプそれぞれがひとつの音の高さとひとつの音色を持ち、鍵盤が押されるとふいごからパイプに空気が送り込まれて音が生まれるという仕組み。ピアノとは白黒の鍵盤が逆で、三段の鍵盤を両手で弾きながらさらに足もとの鍵盤を両足で弾く。演奏台の左右には「ストップ」と呼ばれるつまみがあり、これをひっぱることでパイプの種類を選び、組み合わせることで音が変化する。音楽ホールそのものが、まるでひとつの機械装置。香取さんが音を奏でれば、ホールそのものがバロック音楽を演奏するミュージックボックスに変わる


楽しい時間大切に

 「私は料理とワインが好き。パーティを開いたり、いい美術にふれるのも刺激的。そんな生活のなかでオルガンと音楽にふれていきたい」
 美術や音楽だけでなく、美しいものやおいしいもの、楽しい一時を大切に過ごす香取さん。そんなライフスタイルには、スイスのジュネーブでルームメイトとして暮らした女性の影響がある。国連関係の仕事をしていた彼女との生活のなかで、国際機関に勤めている人々と接する機会が多々あった。それは音楽からだけでは得られなかった何物にも替え難い、楽しくて刺激的な日々。「パイプオルガンは自分を表現するひとつの手段ではあります。でも、国際的な平和のために、音楽を通してできることがあるならば喜んでしていきたい」と、秋田の地から世界を見つめ、奏でる音をより深めていく。
 音楽とは、オルガンとは。世界が平和であるために自分たちにできることとは一体何なのか。バッハを奏でるミュージックボックスに姿を変えた音楽ホールで、天上に鳴り響く音をつくり出す至福の時。古代ローマ時代から、人々のやすらぎと祈りの心を照らして生み出されてきたオルガンの音色は、幾重にも重なり合って心の空洞にも響きわたる。

(2003.5 Vol40 掲載)

かとり・ともこ
1955年、千葉市生まれ。国立音楽大学ピアノおよびオルガン専攻卒業。同大学院修了後スイス・ジュネーブ音楽院に留学し、1983年イギリス・セント・アルバンス・オルガンコンクール入選。1984年、同音楽院で最優秀賞およびコンセルヴァトワール特別賞を受賞して卒業。スイス、スペイン、オーストリア、東京・サントリーホール、神奈川県民ホール等でソロリサイタルを開催。新日本フィルハーモニー交響楽団、新星日本交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団等と共演。フリーで活動後1991年よりアトリオン音楽ホール専属オルガニスト。日本オルガニスト協会、日本オルガン研究会会員。趣味はパーティー、料理、ワイン、美術鑑賞。秋田市在住。