Yoshitaka Kobayashi 小林 義隆さん 和太鼓奏者 『なまはげ郷神楽』
男鹿温泉『なまはげ郷神楽』
男鹿市北浦湯本字草木原86 男鹿温泉郷協同組合 TEL.0185-33-3191 FAX.0185-33-3192

なまはげが来る。太鼓が鳴る。
男鹿に響く、怒涛の和太鼓。


男鹿半島の舞台を土台に、熱く、泥臭く、
負けん気を振りかざすように打ちまくる。
とどろく和太鼓の音に、なまはげの声と波の音が重なり合う。

 冬の海が迫り来る男鹿市北浦の相川漁港。束ねた髪をなびかせて、和太鼓奏者は現れた。
 ここから練習場へは漁港を背に雪に覆われた山に入る。車一台分がやっと通れるように除雪した細い山道を通り抜け、杉林の間を抜ける。
 杉木立の陰影と、雪景色の静寂。
 すべての音を吸い込むかのように降り積んだ雪が「なまはげ郷神楽」の練習場となる小屋を包み込む。発電機でともした明かりの下で、太鼓の音が鳴り始めた。

自然の中で培う

 「きれいなだけが音楽じゃない。春夏秋冬、とにかく体を動かして農業、漁業、林業で稼いで、音に泥臭さを出していくのが自分の太鼓」
 そう言い切る。
 三月中旬、雪が消えるころから山菜に取り掛かる。シドケはクセがあって育てづらいが、ハウス栽培で地場産が出回る前に出荷する。
 夏は素潜りでクロモ漁に励む。北浦産のクロモは、高値を付ける良質の海藻。漁獲には制限時間が設けられていて、一日30分しか漁ができない。水深8〜10数メートルまで一気に海底に潜り、熊手で海藻を引っ掛けて一気に海面まで上がる。それを約30分間、休みなしに繰り返す。
 秋はカシワ、ケヤキ、ミズナラなど広葉樹から種を採って苗木を育て、父の農業を手伝う。冬はハタハタ漁や雪かき。太鼓型のキーホルダーや張り子のお面を土産物用に手作りすることもある。
 「とにかく体を使って一年過ごせば、何とかなる。きれいな太鼓打ちとの葛藤(かっとう)もあったが、農業を極めながら、それを織り交ぜてやっていくことに決めた」
 ただの太鼓打ちではない。
 荒々しい男鹿の風土に根ざした泥臭さ、負けん気の強さが信条だ。


太鼓を叩く高揚感

 初めて和太鼓を叩いたのは六歳の時。「盆踊りの日、親父が櫓の上で太鼓を叩いているのを見たのが最初。格好良くて、盆踊りよりも親父が太鼓を叩く姿をずっと下から見上げていた」と話す。父は息子をひょいと櫓に上げ、「叩いてみるか?」とバチを渡した。
 「見上げていた櫓に自分が上がった時の爽快感。バチで太鼓を叩いた時の高揚感―。ここでは自分が主役なんだと思った」
 その後、中学から男鹿市のなまはげ太鼓伝承会で手ほどきを受けたが、金足農業高校時代はバンドでドラムを叩いた。「何かが違う」と思っていた。ある日偶然、伝承会のメンバーに会ったことから和太鼓を再開、東京を中心に県内外で年間200公演を行うほどあちこちから声がかかった。「太鼓で食っていけるかも」。そう思っていた。
 しかし高校卒業後は3年間、大野台グリーンファームで農畜産物の生産から販売、農業経営技術について研修した。一時、太鼓から遠ざかってはいたが、鷹巣町(現北秋田市)の和太鼓チーム・鷹巣ばやし普及会で練習に励み、町主催の太鼓の祭典「大響祭」に参加。それをきっかけにプロとしてスカウトされた。
 「太鼓で食っていく夢が再燃して、初めて『自分の太鼓とは何だろう』と自問自答した。自分が打つのはきれいな太鼓ではない。それに、自分は農業をまっとうしたい―」
 プロになる話を断った。太鼓と農業の生活。それが男鹿の相川で、この風土で生まれ育った者としての決断だった。

男鹿の風土を体感

 地元である男鹿にこだわり、地元の人にこそ見てもらえる公演活動をしようと2002年に立ち上げたのが「なまはげ郷神楽」。4人だったメンバーも現在は16人を数えるまでに成長した。当初、男鹿温泉郷で連日行っていた野外公演が盛況で、夏期の定期公演にもつながった。一回あたりの観客数は少ない時で150人、多い時は500人を超えるほどとなり温泉郷をにぎわせている。
 男鹿の風土を体感させる荒々しさ、伝説をほうふつさせる豊かな曲調、ハタハタが押し寄せてくる荒波の情景、波がはじけるようなリズム…。曲には男鹿の歴史や文化、風土を込め、演奏は激しく、荒々しく、躍動感にあふれた奏者の動きは見る者の心をとらえて離さない。
 「男鹿に焦点を当てるのは、男鹿で生まれ育った自分にとっては自然なこと。よくよく分かっている男鹿の、ごくごく自然な情景を曲にしていくだけ」と話す。そのスタイルをつかんだのは04年、ソウルで開かれたドラム・フェスティバルに日本代表として参加した時のこと。なまはげ郷神楽は、参加団体の中で最も人気を集めた団体に贈られるザ・ベスト・ポピュラー賞を受賞した。
 「太鼓にはバランス、きれいさ、アタックの正確さなどが要求される。いろいろな国の楽器とその演奏を聴くと、どれも正確な演奏で素晴らしかった。でも最も観客にうけたのがなまはげ郷神楽。演奏した時、2万人、3万人もの観客が一体化したのを感じた。音楽的なものは大切だが、それは絶対的なものではない。人の気持ちを揺り動かすのは、この一体化する感覚なんじゃないかと思った」
 そうしてつかんだのが、ごくごく身近な男鹿の風土に根ざしたスタイル。例えば、なまはげが民家に入る時に足を踏みならす「門踏み」のしきたり。七、五、三のリズムを太鼓の拍子に入れ、問答なども太鼓の音にのせていく。たとえ消えてしまった伝説やしきたりでも、その意味合いをニュアンスとして曲の中に込めていく。
 「太鼓はモノクロの世界。音の中に思いを込めていけば、見た人、聴いた人が、自分なりに感じ取って自分で色を付けてくれる」
 音を打ち鳴らす者と聴く者の心の接点に懸けている。


言葉と心が通じる

 ふと曲想が思い浮かべば、農作業の合間にも小屋へと走っていく。自分の音楽を志すために、練習場となる小屋を8年前に建てた。「畑にいなければ、大抵ここにいる」と笑う。太鼓に懸ける思いは人一倍だからこそ、いつでも自分で太鼓を追求できる練習場が必要だった。
 「技術は自ら常に上へ、上へと持ち上げていかなきゃならない。だから練習しないと腹が立つ」
 そう話す目が鋭い。バチを手に太鼓の前で構えれば、踏みしめた両足が体をどっしりと支えているのが分かる。「太鼓はただ叩くわけではない。バチを振り下ろす時の落ちるエネルギーと、上へと引っ張るエネルギーの遠心力が大切。力点が作用するところだけ力を入れて、あとは力を抜いてコントロールする」という。
 太鼓は遠くへ音を響かせるための原始的な楽器だ。
 「太鼓が響けば、言葉も心も通じる」
 そう言って打ち鳴らす太鼓の音が、あたりの雪景色に溶け込んでいく。雪が解ければ、男鹿の山々にまた山菜の季節が訪れる。

(2006.4 Vol57 掲載)

こばやし・やすたか
1976年男鹿市生まれ。中学生で和太鼓を始め、なまはげ太鼓伝承会のメンバーに。2002年、男鹿市の星辻神社に奉納する「なまはげ郷神楽」を立ち上げる。以来、男鹿に息づく歴史や文化を土台にした作曲・演奏が高く評価され、広く国内外で公演。04年ソウルドラムフェスティバルに日本代表として参加し、ザ・ベスト・ポピュラー賞受賞。同年全国電気のふるさとじまん市(郷土芸能部門)で最優秀賞。男鹿温泉郷にて4月下旬から10月ころまで毎週土曜20時30分から定期公演を開催。男鹿市在住