8月1日、午前3時。
7800メートルのC3(第3キャンプ)から山頂を目指した。心は不思議と安らかで、静かなものが体のなかに湧き上がってくるのを感じていた。
「人生最高の一日にしよう!」
ザイルをつないだふたりは、憧れ続けた高みへ、黒に近いほど青い空の中へと登っていった。暗い谷底に見えるBC(ベースキャンプ)には、仲間たちが焚いてくれた焚き火の光が揺れていた。
世界第二の高峰へ
「高校の時、大会の後にこの木に登っていました」
秋田市の八橋運動公園の一角。小さな体は軽やかで、下の幹に足を掛けたかと思うと、体は木の上に立っていた。秋風が前髪をなびかせる。
秋田で山岳競技に没頭していたのは6年前。この小さな体で、遭難者の多さから“非情”ともいわれる山の頂に立ったのは、ほんの3カ月ほど前のこと。そのニュースは突然だった。
「日本人女性が初めてK2登頂に成功」
東海大学の山岳部創部50周年記念事業として結成された登山隊がK2を目指し、アタックした小松由佳は日本人女性初、南南東リブ(支稜)という登攀ルートでは女性初の登頂に成功。2年後輩の青木達哉はK2の世界最年少登頂記録を更新した。
すべては「人と、山と、絆と、運と、私を取り巻くすべてのめぐり合わせのおかげ」と彼女は言う。与えられたチャンスに懸け、高みを目指す若いふたりに対して、荒れ狂い、牙をむき、巨岩を落としながら、まばゆい青空で迎え入れた世界第2の高峰、K2。その頂で、彼女は何を感じたのか。
夢のまた夢の山
東海大学山岳部で鍛え、初の女性主将として活躍した経歴を持つ。女性であることを「山では捨てるんです」と言い切る。山に入れば、風呂には入られない。しかし「お風呂に入らなかったことを話すよりも恥ずかしい」と、過去のクライミングの“失敗”を悔しがる。山の名ばかりに憧れて登山隊に参加し、大切なものを見失ってしまった時期もあった。
「それでも、いつも山に登ることによって、どんなことも乗り越えてきた」
そんな自信と闘志がある。
海外登山はこれまで、韓国の雪岳山・トワンソン氷瀑アイスクライミング、パミールのカラコンロン山群主峰登頂、チョモランマ北稜6500メートル、カナディアン・ロッキーのバンフ周辺アイスクライミングなど。登山というより、登攀。危険は多いが、「常に生きることを考えているから、あまり死を意識しない」と話す。険しい氷壁を登るためにクライミング・ジムに欠かさず通う。
昨年の夏、山岳部監督から「K2へ行かないか」と電話を受けた。8000メートル峰の経験は自分にはない。しかし、自分の持っている可能性のほうに懸けた。夢のまた夢と思っていたはずの山への挑戦を決意した日から、生活は一変した。アイスクライミングや冬壁へ登り込み、体力のさらなる強化に明け暮れ、着実に力を付けていく過程が楽しかった。ひとつ壁を乗り越えるごとに、夢の扉は開かれていった。
独自のルート工作
パキスタン北部、北緯35度52分、東経76度30分。ヒマラヤに続くカラコルム山脈の最高峰は、標高8611メートル。登頂の難しさでは標高世界一のエベレストより上といわれ、成功した登山者の数も少ない。急峻な岩稜が天へと突き上げるすさまじい山容は、登山家の心をかき立てる。
バルトロ氷河のコンコルディアから初めてK2を望んだのは今年6月。そこには美しい三角錐の氷壁が天にそびえ、「想像していたより百倍かっこいい」K2の姿にみとれた。
憧れの登山家ラインホルト・メスナーは、K2山頂からの光景をこう表現したという。
「自分がなぜここにいるのか、分からなかった」
史上初の8000メートル峰全14座完全登頂をはじめ、数々の記録を誇るメスナーにこう言わしめたK2。その山頂で自分は一体何を見るのか。どんなことを感じるのか。「それが知りたかった」と振り返る。
ベースキャンプへのキャラバンを続けながら、K2は頂をさらに突き上げていく。その姿を見上げては、青い空へと登っていく自分を思い描いた。「こんなにスケールの大きい山でルートを延ばしていけるのは幸せ」と、先頭に立ってルートを拓き、その高みに憧れた。
登山隊が決めたのは、急峻な南南東リブからの攻略。冬山の経験が豊富な自分たちに有利な雪のルートであり、「独自のルート工作により力を試すことができる」と判断した。進むにつれ、自分の力ではどうにもならない危険にも幾度となく遭遇した。冷蔵庫大の落石、真上からまとまって落ちてくる小石…。そのなかでルートを延ばし、C1、C2、そして7800メートルにC3を設けた。「危険はあっても、登ることが止められない。K2はそういう素晴らしい山」。登山隊は、アタック態勢を整えた。
8月1日、核心部であるボトルネックの斜面を登り、ふたりでただひたすらに高みを目指した。先を歩いていた後輩がこちらを向き、目配せをした。
「言葉など交わさなくとも分かった。ここが頂上だ」
山頂から見えたもの
山頂から、何が見えたのだろう。何を感じたのだろう。
14時間のラッセルの末、K2の頂で「宇宙を見た」と彼女は言う。足もとには地球が大きく弧を描き、雲海が広がっていた。K2がふたりを待っていてくれた。そして冷静な自分もいた。「生きることとは登ること」「登ることは生きること」を、これほど実感した山はなかった。
「山は、非現実的な世界。そこに浸れるのが私の一番の生きがい。集中と緊張感の極限のなかで、五感をすべて使い、研ぎ澄まし、すべてに敏感になる自分がいる。普段感じないことを山では感じる」
登頂の後、下降は登頂以上に厳しかった。疲労と眠気、装備の凍結、そして酸素ボンベが切れてからの8200メートル地点でのビバーク。しかしK2は、ふたりを無事に還らせてくれた。
「私から山を奪ったら空っぽ」
帰国後の記者会見で、そう話した。
「山に、高さや知名度は関係ない。心から惹かれる美しいルートを持つ山に出合いたい。ずっと山に触れて生きていきたい」
K2山頂に立った登山家と、公園の木に登った女性。どちらにも、さわやかな風が吹いている。
|