明かりを落とした室内に、一匹の狼がいた。
風が吹き、木々がざわめき、空から何かが降ってくる。それはきらきらと光る、無数のナイフ。
鋭利な光は、ガラスの破片のように、舞い散る雪のように、狼とともに物語を紡ぐ。しかしここは、言葉のない世界だ。
作品と観客が、出合う
中目黒のギャラリーで見たのは、体をガラスで埋め尽くされた一匹の狼。そして、ざわめくようなタッチで描かれた鉛筆画のアニメーションだ。目の前の狼は牙をむき、毛皮を脱ぎ捨て、どこかへ歩いていくように見えた。
映像では、正体不明のキャラクター“みみお”が森を歩き、狼がそれにつづく。右から左へと常に平行に歩きながら、いくつもの森を抜ける。時折、ひとりの少女が現れ、あたりに光のナイフが降りそそぎ、雪が舞う。それらは少女の記憶として閉じこめられた映像なのか、それとも少女が見ている幻影なのか―。
「惑星はしばらく雪に覆われる」
そのタイトルもまた不思議な余韻を残す。見る者のイメージをふくらませる空気をはらんだ言葉。彼女がつくり出すこの世界には、いったいどんな意味があるのだろう?
「それは、作品と観客とのあいだの話。空間に身を置いて、五感を使ってただ感じてもらえればいい。作品を語るよりも、体感してもらう“出合い”が大切。作品と観客が出合えば、作家の存在なんてもう不必要なんです」
彼女は、何者をも寄せつけない透明感や、触れられるが距離感のある物を美しいと思うのだという。ナイフや狼、雪もまた、そういった多面性を持つモチーフだ。
彼女の描くみみおと狼とが歩く映像は、暗闇のなかで淡々と流れていく。それが反芻されるほど、イメージは渦を巻くようにふくらんでいった。
自分が見たいものを
大学で日本画を学んだ後、おもちゃや雑貨のデザイナーを経て制作を始めた。
「私はただ、自分の興味のある方向にのめり込んでいっただけ。一九七〇年代にアートは内へ内へと入っていって、哲学的な意味合いが強くなったけれど、本来、アートは日常のどこに潜んでいるかも分からない。後で考えると、誰にも言えないような子どもっぽいと思われるようなことを真剣にやり続けていたら、客観的に見ると、それが私のアートだった」
絵画やアニメーション、絵本、彫刻など、さまざまなメディアで制作する。アニメーションを手がけるようになったのは、九八年に非常勤講師として教えた大学で、ある学生が制作する様子を目にしたのがきっかけだ。
「鉛筆の線がざわざわと動くような絵を見て、『おもしろいな』と思った。学生が『簡単だよ』というのでやってみたら、一秒間をつくるのに十五枚も描かなければいけない。絶望的とも思える作業が続いて、もう大変だった。いつも相当おもしろいと思えるものでないと続けられない。おもしろくなるように、作品にいろんな仕掛けをつくる。私は我慢強くないし、飽きっぽくて、根性なしだから」
そう言って笑みを浮かべるが、苦しい作業をいつも続けられるのは、「何ができるのかを見てみたい」という思いがあるからだという。
「私は、だれかに見せたいのではなく、だれよりも先に自分が“見たい”のだと思う。何ができあがるのか、何が始まるのか」
波紋を広げる役割
物語絵画」と称されるが、そこに特定の筋書きはない。絵画であるが、絵画だけでもない。ストーリー展開は見る者の想像力にゆだねられ、個々のイメージのなかにその人だけの物語ができあがる。
「作品との出合いがあれば、観客自身が自分で物語れるのだと思う。観客自身が作品と対話するしかない。人の想像力に、ほかの人は決して入り込めるものではないから」
例えば『物語シリーズ』と呼ばれる一連の巨大な絵画。最終章である「第四章」の発表に始まり、第三章、第二章、第一章、そして「第0章」へと物語を逆回りでたどった。それぞれに緊迫感ある絵画は、それ自体に語るべき物語はない。観客は各々を眺め、引きずり込まれるうちに何かを感じるのだろう。ページを逆戻りでめくるかのように絵画を眺めれば、何かが見えてくるのかもしれない。宇宙的なもの。神々しいもの。あるいは壮大な冒険物語…。
インスピレーションを受けた人に会いに行くことで生まれるものも多いという。ある企画に向けて取材を重ね、地球について考えるうちに、地球内部の断面図を自分の日常に置き換えて私的な地球を描き上げた。
「でも自分がつくっているものに、メッセージ性はほとんどない。意味づけなど決してできない。私は、石を投げて波紋を広げるのが役目。見る人の心をざわざわとさせて、楽しんでもらうんです」
景色の記憶が根底に
映像では、みみおや狼が歩みを進める深い森に、雪が降り積む。これは秋田の景色だろうか?
「雪は、私にとって待ち遠しい存在。美しい雪を大いに楽しんだ記憶があります。子どものころは、秋田市内にもまだ畑が多く、アスファルトではなく土があった。人間が大自然の一参加者だと思えるのも、そんな景色が根底にあるのかも」
森のざわめきは生き物のざわめきとなり、残像は心を震わせる。
「制作の過程で、やる気が失せるほどの事態がおこることもある。その苦しい経験が積み重なって、偶然の出会いやアクシデントさえもごう慢にコントロールして、消化させたところに作品が生まれる。これまで、怖い目にも、痛い目にも遭ってきた記憶がフィルターを通して出てくるのかもしれない。描き終えると解放感に満たされて、もう二度と描きたくないと思うんだけど、また描きたくなる。私は忘れんぼだから」
深い森のなかで、物語は永遠に続く。眺めているうちに時は過ぎ、恐怖や憧憬やぬくもりが、ない交ぜになった不可思議な感覚だけが残った。
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