晴天続きだった6月上旬。「夕方になったら、みんなで農園に行って水まきしよう」
 その一声で、8歳、6歳、4歳の男の子たちは母親と共に繰り出した。涼しい夕暮れの農園へ。できたばかりのみそ汁と、握りたてのおにぎりを持って。

 「子どもの頃から、やりたいことしかやらないのが私。アルトサックスを吹いていたときも、教科書に載っているような曲じゃなく今はやりの曲がやりたくて、みんなの分までアレンジして演奏したり。異端児でしたよ、何か勘違いしていて」
 大学中退後は都内でCM音楽などのディレクションやプロデュースに携わり、音楽業界にどっぷりと身を置いた。
 「3日徹夜は当たり前で、コンビニ弁当をおいしいともおいしくないとも感じない生活。秋田に帰ってからもそれは続いて、結婚してもピザやサンドイッチ、お取り寄せグルメで食卓を演出する私ってすてき!なんて。子どもを3人産んでからも意識はまるで変わらなくて。ほんと、勘違い人生でした」
 忘れもしない、2011年3月。東日本大震災後のテレビに生々しい避難所生活が映し出された。そして、わが子の手を離して死なせてしまった若い父親の「それでも生きていく」という言葉。すべてが重く、心に響いた。
 「もし私が幼い3人の子どもと一緒にあの避難所にいたら、うちの子たちは生きていけるだろうか。私の育て方は、どんな状況下でも生き延びる力を与えてきただろうか。私は何を目指して子育てをしてきたのか…」
 子育てへの疑問と反省が食への意識を変えた。地場においしい野菜があること、ご飯があること。今ここにあるものの素晴らしさ…。
 「ご飯とみそ汁は、体と心をつくる原点。でもそれだけではなく、そこには人の幸福感を変えるエネルギーがある。食への意識が高い人は多いと思いますが、幸福感に変えられるかどうかは別問題。食べる楽しさやコミュニケーションのある食卓が大切なんです。ご飯とみそ汁さえあれば…という人が増えれば、人はもっともっと幸せに生きられるはず」
 秋田市河辺の農園。水やりに精を出す長男、手伝いながらも遊びに没頭する二男、ただただ楽しく遊びまくる三男。この子たちの存在が、どう生きていくべきかを教えてくれた。
 「年々、シンプルになってきて。何だか幸せなんですよ」
 山あいに沈む夕日が、田んぼの水や野菜の葉と共に、4人を赤く照らし出した。
小山1

(2014.8 vol107 掲載)

プロフィール/食育インストラクター 小山明子(こやま・あきこ)
1974年生まれ。大館市出身。大学中退後、音楽業界で活動。大館に戻って家業のゴルフ練習場経営を手伝った後に結婚、専業主婦に。東日本大震災後、食育インストラクターや国際薬膳食育師、発酵食スペシャリストなどの資格を取得。毎日のご飯や郷土食などを追求する「ママごはん部」の主宰や「一杯の味噌汁プロジェクト」発起人として活動。「ご飯とみそ汁で大きな、大切なメッセージを伝えられるのが秋田の強み」と話す。秋田市在住
秋田ごはんdeハッピー子育て http://happyhonjyo.blog35.fc2.com