新素材の持ち味をいかに引き出すか、
だれも味わったことのない美味しさを創り出す
料理人は常にチャレンジャーである。





 サンルーラル大潟の総料理長牧尾勲さんのもとにフジTV系列の人気番組『料理の鉄人』(秋田テレビで金曜夜11時放送)出演の話が舞い込んだのは昨年の暮れのこと。フレンチの鉄人・坂井宏行さんの40周年記念のスペシャルバージョンとして『同級生対決』をやるから挑戦してみないかというものだった。実は鉄人・坂井こと坂井宏行さんと牧尾さんは鹿児島県出水中学校時代の同級生である。昭和33年、鹿児島駅から同じ集団就職列車に揺られて坂井さんは大阪の弁当屋へ、牧尾さんは東京のホテルへと、それぞれ料理人としてのスタートを切った。そして、30数年の歳月が流れた。最近になって厨房士関係の会合などで何度か顔を合わせるようになったが、お互いに少年時代の面影に気がつかなかった。ある日、牧尾さんは料理の本を見て、坂井鉄人が同級生の坂井宏行さんであることを知ったという。

  テーマは黒豚

 会社側も番組出演の話に「鉄人への挑戦者として全国デビューできるのは大変な名誉。大いに腕をふるってもらい、大潟村の存在をアピールしてほしい」と大喜び。トントン拍子に話がすすみ、収録は5月23日フジTVのスタジオに決定した。食材のテーマは「サツマシャモ」「サツマイモ」「黒豚」「ジャンボマッシュルーム」「パイナップル」という5つのヒントの中からひとつに絞られるという。
 5つとも鹿児島の名物であるが、キノコやサツマイモ、パイナップルは黒豚やシャモ料理のアレンジとして応用できるので、本命は黒豚かサツマシャモのどちらかだろうと的をしぼった。そして、番組収録の当日。案内されたスタジオは想像以上に大きく、テレビで見るとおりの古代ローマ風の豪壮なセットがしつらえられ、スタッフが慌ただしく撮影の準備をすすめていた。いよいよ60分1本勝負のバトルが迫ってきた。鹿賀丈史の名セリフ『私の記憶が正しければ』の言葉の後に発表されたテーマはやはり「黒豚」であった。

  ジュンサイも食材に

 60分という限られた時間内にオードブル、スープ、焼もの、煮ものなどの5品を作るのは至難の技だ。まして、普段の厨房とは使い勝手も違う。応援席では同郷の級友たちや恩師に混じって住田支配人や妻の由美子さんが二人のフレンチ対決を見守った。鹿児島の素材を多用しアピールする鉄人、対する牧尾さんはジュンサイ、ネマガリダケなど、秋田の旬と鹿児島の味との融合にこだわりを見せた。
 終了3分前、坂井鉄人は最後の盛りつけに入り余裕の表情だが、牧尾さんの方は2品を完成しているだけで、残りはまだ盛りつけていなかった。スタッフも気をもんで、「牧尾さん、あと時間がないですよ。一皿だけでも早く盛りつけないと」と、教えてくれた。汗だくの60分が終わった。
「何しろ時間との戦いで、省かざるを得ないものもありました。秋田のジュンサイと豚バラ肉を使ったスープは本当はゼリー寄せにしたかったが、時間がなかった。案の定、審査員の細木先生にモノ足りないと言われてしまいました」
 豚バラ肉、アワビ、タケノコを焼酎やフォンドヴォーで煮込んだメインの一品は本来なら数時間かけるものだが、圧力釜を使って仕上げた。「オレ、これを食べた時、負けるかもしれないと思ったよ」と坂井鉄人が思わず洩らした一品だ。鉄人は凝ったものを作るだろうから、自分はシンプルに素材の味を出そうという思いがあった。秋田に来てから知った山菜の味。新鮮な野菜の魅力。コクのある黒豚との取り合わせを最大限に活かしたつもりだったが、しかし、審査員には控えめに映ったようだ。「挑戦者の素直な性格がそのまま出ているが、冒険も必要」という言葉をいただいた。
 結果は鉄人の勝利だった。秋田から朝一番に応援に来てくれた社員に託した「ジュンサイ」。秋田の食材を取り入れたいと思う料理長の気持ちが、勝敗を抜きに感動させた。(この模様は6月25日に放送された。)
「名だたる料理人が登場してきた舞台に立つことができてうれしかった。とにかく楽しもう、そう思って存分に料理をしました」
 60分バトルの熱気を再び思い起こすように語った。


  村の風景に好印象

 牧尾さんがサンルーラル大潟に総料理長として赴任したのは4年前だった。それまでは東京や横浜のホテルに勤めていたため、東北にはまったく縁がなかった。秋田も初めての地である。まず、最初に案内されたのが寒風山だった。山頂に立って「あれが大潟村ですよ」と言われたが、一面に田畑が広がっていて、どこからどこまでが大潟村なのか見当がつかなかったという。村に入って、住宅の造りや配置がかつて旅したミネソタ州ミネアポリスの町を思わせ、最初に「暮らしやすそう」という好印象を持った。研修で一カ月ほど暮らしたミネアポリスは自然にあふれたヨーロッパ調の落ち着いた町並みだった。「暮らすならこんなところがいい」と思っていたという。

  特産を生かした味づくり

 第3セクターであるサンルーラル大潟は幾つかの運営テーマの中に食文化の発信も目指している。総料理長として、「ルーラルらしい」食の提供をいかにしていくか個性をいかにつくるかという仕事が待っていた。8階のレストランではフランス料理等、洋食を中心にして、1・2階の宴会場や座敷では和食も提供できるようにスタッフや態勢を整えた。
 そして、いよいよ味づくりである。大潟村の特長をいかに表現するか。農業の先進地大潟村ならではの味づくりとは―。生産者がすぐそばにいるということもこれまでの料理人生活にはなかったことである。大潟村の野菜を消費者の元へと始めた「サンルーラル野菜クラブ」。生産者の協力で毎月一回新鮮な野菜を発送している。その中には「牧尾料理長のレシピ」を加え、一味違ったプロの味を添えている。

  新鮮な野菜と魚介類

 肥沃な大潟村の土で栽培された野菜は味が濃い。特にトマト、ナス、キュウリ、キャベツ、ホウレンソウなどは甘みが強く、洋食には最適だ。それに、帆立茸(エリンギ)、プッチーニ(カボチャ)などの新素材は新しい料理への創作意欲をかきたててくれる。
「とにかく野菜は新鮮。それに男鹿からは取れたての魚介類が入りますから、素材は文句なしです。そうした自然の恵みの味をどうやってお客さまに楽しんでいただくか、料理人としてはとても充実しています」
 これから盛夏にかけては完塾トマトが美味しくなる。この時期のトマトを煮込んで一年分のトマトソースをつくっておく。ガスパチョ風に仕立てたトマトスープ、トマトシャーベットは今やサンルーラルの名物である。
 烏骨鶏の卵はアメリカの牧童たちの料理からヒントを得てココット盛りのオーブン料理にした。これも宴会には欠かせない名物となった。
「料理人はお客さんの生命を預っているんだから、常に衛生に気をつけること。それと、お客さんの気持ちになって料理を作ること。これは以前に修業したホテルで親父さん(料理長)に教えられた料理人の心得です」
 この心得は今も変わらず、胆に銘じて大切にしている言葉である。


  スケールの大きさに心なごむ

 大潟村は北緯40度と東経140度の線が交わる場所である。「サンルーラル大潟」の8階レストランMOLENからは広大な田園と寒風山のなだらか山容が一望できる。牧尾さんはゆったりとしたスケールの大きさを感じるこの風景が好きだという。
 この半年間、『料理の鉄人』のためのメニューが頭を離れなかったが、バトルから一カ月が過ぎて、再び以前のような落ち着いた毎日が戻ってきた。コックと板前、ウエーター、ウエートレス、パントリーなどのスタッフを指揮して、また新しい味づくりにチャレンジする日が続く。

(1999.7 Vol.19 掲載)


まきお・いさお
1942年7月生まれ。鹿児島県出身。  
昭和61年 全日本司厨士協会功労者賞受賞
昭和62年 全日本司厨士アカデミー銀賞受賞
昭和63年 八重洲会金賞受賞
平成 3年 自由民主党総裁賞受賞
  〃   調理技術技能センター賞受賞
平成 4年 プロスペール・モンタニエ日本支部
      シュバリエ・ボン・フォルティナ受賞
平成 5年 全日本司厨士アカデミー金賞受賞
  〃   調理師法施工35周年記念全国大会表賞
平成 7年 サンルーラル大潟総料理長