Akira Miyazawa 宮澤 章さん 陶芸家

時間の堆積を描く。
それは風化することのない、永遠の世界。

積化象嵌(せっかぞうがん)。

手びねりで積み重ね、焼けた肌を剥がし、磨く。
時間と指先が描くかたちが、夢と現(うつろ)の境に生まれる。

切ない片思い

 「手のかかる女性に引っかかった感じ。どんなに愛しても、心を込めても認めてもらえない。本当に僕は捨てられたんじゃないか、見限られたんじゃないかと心配になることがありますよ」
 陶芸家は笑いながらそう話す。
 「付き合って分かったことですが、イニシアチブはいつも相手側にあって、私のほうにはない。私の切ない片思いです」
 1997年、初めて作品図録を制作した折に記した陶芸へのそんな思いは、いまも変わらない実感だという。
 「土のこと、釉薬のこと、彼女のこと。僕が『こうなれっ!』と言っても駄目で、僕の願いは決して叶えてくれない。何年経っても一段とね、片思い」

民芸の地で作陶

 江戸時代末期から、優れた陶土を生かした日用道具の産地として知られてきた益子。その地に、工房がある。
 益子には作家を魅了し、招き入れる魅力があるようだ。庶民の生活のなかから生まれた工芸に実用性と素朴な美を見いだす民芸運動は、益子に移住した陶芸家・濱田庄司が中心となって進められた。濱田は益子で産する土と釉薬を基本に、「民芸」を体現する作品を数多く生みだしている。
 益子を歩けば、まちのあちこちに民芸店がある。益子焼の作家は、作った商品を地場に卸せ、流通させることができる。土地も安く借りられるため、若い陶芸家でも窯を開ける土壌がある。そんな益子には、ほかにはないゆったりした時間と空気が流れているという。
 「いろんなところに行きましたよ。たくさん見て、人からたくさん話を聞いて。そのなかでここが一番、僕に合っていた。益子のゆっくりした感じがよかった」
 宮澤さんは秋田大学教育学部で油絵を学んだ。教員試験に合格しながらも、職人への憧れから進路を変更。製陶が盛んな瀬戸地方で就職したものの、ベルトコンベアを使った和食器の量産では陶芸の勉強にはならないと感じ、二年半で退職する。その後、「旅したなかで肌に合った」という益子の地で師匠に付いた。
 「ものを作る仕事に憧れていた。でもお客さんからの注文に沿ったものを作るより、自分が好きなものを作りたい。技術はまだなかったけれど、こういうのを作りたいというものはあった」
 陶芸の技術は多岐に渡る。手びねりで描くかたち、千三百度もの炎があやなす土の表情、彩りを変える釉薬…。
 「陶芸展の結果に落ち込んで、どうして自分は認めてもらえないのかと考え込んだ時期も長かった。四十歳になって技術がだいぶひとつにまとまり、自分のものになっていたから、『作家』として切り替える必要を感じた。自分をどうやったら表現できるのかー」
 四十歳での転機は、益子焼“異色の作家”と呼ばれる陶芸家を生みだした。

時間の堆積を描く

 丸みをおびたひとつの壺。
 自然石のように粗い肌をして、石ころのように何気なく、そこにある。腹にはぺこりと指で押したような、くぼみ。ソラ豆のようで、生き物のようで…。
 作品名は「積化象嵌壺」。自らの作品に「積化象嵌」という造語を用いるようになったのは、97年に開いた個展がきっかけである。その時に制作した図録に、この言葉を使った。
 宮澤さんは電動のろくろは使わない。手びねりでひも状の粘土を積み重ね、内側と外側に二重の壁を作っていく。それは指が形づくる土の層であり、時間の堆積。手びねりの過程で付けた傷にも、くぼみにも、そこには作業した時間の積み重なりが現れる。それだけでは終わらない。窯で焼くことで化けた器の肌を、剥がして磨く。堆積するのは時間なのか、執念なのか│。指の感触を残したまま、それは形を成していく。
 「ろくろを使ったやり方だと、凹みを出す場合は無理に叩いて変化させる。でもこのくぼみは、僕が手びねりの作業のなかで積み重ねていったもの。そこに僕の気持ちがある。手でいつまでもいじりながら、納得するまでつづけられる。積化象嵌とは、僕そのもの」

石のようなしぶとさ

 口をぽっかりと開けているような壺、波文様を施した鉢、石のように、岩のようにたたずむ壺…。かと思えば、エッジの効いた形へのこだわりもある。箱型に階段を施した「陶塔香炉」は、ヨーロッパの石塔をモチーフにした作品である。
 「何でこういう形に惹かれるのかな。いつまでも遺るような、しぶといものを作りたいという執着はあると思う。虫も入らない、風化することもない。そんな石のような、しぶといものにしたいという願いはある。やっぱり難しいよ、形あるものは」
 自身の作品を見つめる眼はやさしい。自分の指跡を残し、時間を重ね、風化することのない永遠なるものを願う│。それは太古から、ひとが石や岩に刻み、石塔を作って込めた願いにも似ている。
 「こうしたら売れる、こうしたら評価されるというんじゃなく、自分のプライベートな思考でものを作る。陶芸は土器、須恵器など昔からあった技術。焼き物が始まった時代から、人間が根本的に持っている美意識は変わっていないんじゃないか。昔も未来も、人間のいいなと思う世界がそこにある」

夢と現の境に

 「昼夜を問わず、朝も晩もなく焼いているから、いま自分は起きているのか、寝ているのか、夢か現かその境が分からなくなる。焼き物は自分の頭の中の孤独な作業。特に窯をやっていると、いまが何時なのか、自分はどうしているのか分からない」
 時間の堆積を形づくる「積化象嵌」は、夢と現の境に切なく思いつづける一筋の道である。
 「相手をどれだけ理解するか、それはとても大切なこと。人間も、同じでしょ」
 片思いをひたむきに楽しむまなざしがあった。

(2007.8 Vol65 掲載)


みやざわ・あきら
1950年秋田市(旧河辺町)生まれ。秋田大学教育学部美術科卒業後、尾張旭市旭製陶へ。74年栃木県益子町にて薄田浩司氏に師事、76年独立。87年・89年日本陶芸展入選。90年以降、東京、栃木、秋田などで開く個展を中心に作品を発表し、北益子で作陶活動をつづける。栃木県益子町在住