プールの水の中は自由だ。
手足を伸ばし、動かして、浮かんだり、沈んだり。跳ねたり、もぐったり。
水の中で自由に過ごせる楽しさは、非日常的で、特別な時間。
初めてのプール
「あー、人間って、プールの中で笑えるんだ。初めてそう思ったんです」
11年前、生まれたばかりの長女をプールに連れて行った時のことを、そう話す。その日、「水の中に落としてはいけない」と両手で抱きかかえた小さな体を、水の中にそっと入れてみた。
「初めはこわばっていた娘の表情が、だんだんにこにことしてきて、いつの間にか笑っていた。水の中は自由で、気持ちがよくて、非日常的。娘は自然に、プールの水と戯れている。一緒に水の中に入っていると、私のほうが癒やされた」
以来、長女と共にプールに通う日々が続いた。引退後、水泳そのものだけでなくプールという空間にさえ抱いていたネガティブなイメージは、それをきっかけに払しょくされた。
「普通に生きていられたらいい。ポジティブな考え方に変わらなきゃいけない│。それをさせてくれたのが、娘たち」
三児の母は、そう話す。焼けた肌の奥に光る大きな瞳があたたかい。
娘の笑顔が変えた
長女と共に通ったベビースイミングプログラムは、衝撃的な体験だった。仕事で多忙な時にもスクールの時間を優先させ、一緒に水と戯れた。
「娘と一緒にプールに入ると、不思議なくらい“欲”が生まれない。子どもに対して、こうしてほしい、こうなってほしいという思いも生まれない。そんなことを思い出す暇もないほどに、水の中にいる子どもたちは大人を忙しくしてくれる。子どもの様子を見るのが幸せで、ひとときも目が離せなくなる」
スクールで出会った先生の「子どもを泳げるようにさせるためだけにプールに入れるのは、もったいない」という言葉にも触発された。敬遠していたはずのプールという空間で長女の笑顔にふれるたびに、見えてくるものがあった。
「自分はいま、泳ぐための人間ではない。これからは次世代のために、話して、伝えていかなければならない。でも競技選手に教えることは、たくさんの人にできるはず。かつて競技選手であり、いま母親である自分。プールでの娘の笑顔に癒やされる自分。次世代に伝えていきたい思い│。すべてがここで合致したように思えた」
母親として学んだことや水とはぐくんできた経験を生かして、独自の「ベビーアクアティクス」が始動した。
「こうなるために、私はオリンピック選手になったんだと思う」
ふたたび、水の中に飛び込んだ。
水の中は自由で楽しい
1998年から首都圏で始めた「ベビーアクアティクス」は、0歳6カ月から3歳未満の乳幼児とその両親が対象。アクアティクスとは水中運動のこと。泳法を身につけたりお互いが競争するのではなく、プールという舞台で水が与えてくれる非日常的な時空を楽しむためのプログラム。それは乳幼児だけでなく、両親自らが楽しみ、笑顔になるプログラムでもある。
プールの水温は32度以上に設定する。カリキュラムは設けず、それぞれの乳幼児に合わせたイベントを用意。子どもたちとの体験を通して感じた発見と経験から編みだしたレッスンは人気を集め、この8年間で多くの親子の支持を得てきた。2003年には独自の乳幼児水泳プログラムとして商標登録されている。
「子どもたちは水の中でさまざまな反応を示す。例えば私の三人の娘たち。三人それぞれに水との戯れ方が違って、水の中でのちょっとした過ごし方もまるで違う。子どもにはそれぞれ自分のペースがあるから、親としての過剰な思いや願いを子どもたちに向けては駄目。子どもは、親の思いとは反比例して育つものだと思うから」
子どもに「泳げるようになってほしい」「水に顔を付けられるようになってほしい」と願いをかけるよりも、水そのものを一緒に楽しむことが大切という。「Swim
to Smile!」がモットー。そのなかで個性を育て、それぞれの能力を少しずつ伸ばしていくのがベビーアクアティクスだ。水とのひとときを自由に、自然に過ごすこと。その根底には親子のふれあいや信頼関係がある。
「水の中では、お母さんは赤ちゃんだけを見つめて、ずっと抱っこすることになるからスキンシップが密にはかれる。お父さんやお母さんは、日常が忙しいからこそ、日々の雑念が多いからこそ、プールはすべてを忘れられる空間になる」
そう話す言葉は、すべて三人の娘たちとプールで過ごした時間から生まれた経験に裏付けられている。
「水の中は自由で、楽しい。水の感触を楽しめばお父さんやお母さんに笑顔が生まれ、それが赤ちゃんに安心感を与えてくれる。赤ちゃんが笑えば、お母さんもさらに笑顔になる」
人間として強くなる
自身が主宰するベビーアクアティクスのレッスンをはじめ、講演会やテレビ出演、取材対応などに追われる日々。家に帰れば“かぎっこ”の娘たちが待っている。長女とふたりの妹たちが約束事をつくって助け合い、「自分たちで生きる力を身につけていってくれている」と頼もしげだ。
「娘たちが私を強くしてくれた。妻として、母として。いろいろな立場で強く生きていくために、毎日が蓄積されていく」
競技者でもスポーツコンサルタントでもない、素顔をのぞかせる。
「スポーツは勝つためでなく、人間として強くなるためにするもの。どんなに素晴らしい選手でも、一生、競技レベルでいられる人はいない。どんな結果が待っていても、どうしようもないぐらい落ち込んでも、ショックを受けるたびに、負けるたびに強くなれる人が本物」
水を得た魚は、力強くほほ笑んだ。
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