Shizuo Naka 那珂 静男さん
映像ディレクター

思い描く世界があれば、いつか必ずたどり着ける。
「隙間」という世界が奏でる、ジャズと映画への思い。
すべてはこの場所から始まった。


土蔵のジャズ喫茶s

 「おーい、聞こえるか?」
 「聞こえますよ」
 「なに!? 聞こえるのか?」
 倉庫になっていた古い米蔵。音の響きが良く、防音効果にも優れていると思っていた蔵の内と外で声を交わすと、筒抜けだった。明治二十年に建てられた米蔵の壁は、新潟地震の時にはがれ落ちたまま。小さな裸電球がひとつ、吊り下げられているだけ。
 「あぁ、せっかく蔵が借りられたのに…」
 中央通りで経営していたジャズ喫茶を、大町の土蔵に移すことに決めた際の逸話である。
 ジャズスポット「ロンド」は昭和42年、秋田市の中央通りで開店した。シナリオを学ぼうと上京したが、「書き方を勉強するのはナンセンス。人と話をしてお互い刺激し合うのが一番。人生勉強をしていけばいい」と、帰郷。当時、秋田では珍しかったジャズ喫茶には、多くの人が出入りした。
 「名曲喫茶と違って、暗くて、タバコの煙が充満していて。なんだか危ない雰囲気で、いいでしょ」
 そんな時、立ち寄った岩手のジャズ喫茶で、土蔵がつくり出す音に心を奪われたのだ。

蔵を改造し音質調整

 米蔵を借り受けることはできたものの、音が漏れるほどの古い造り。そこで米蔵を改装し、造りに合わせてスピーカーに手を加えていった。音質を考え、調整しながら合板を重ね、音の響きが気になると一階の天井をぶち抜いた。
 目指すのは、音の臨場感。
 十年以上に及んだ音づくりには、ある目標があった。低音で響く、甘美なボーカル。その喉仏の震えは、心までをも震わせる。
 「いまこの壁の中から、歌っている姿が浮き出てくる。スピーカーから流れ出る音なのではなく、本当にここで歌っている―。そんな臨場感が、すべて。それを強く思い描いて、近づけていった」
 扉を押し開けて中に入れば、あふれ出る音、心に響くボーカル、ライブの喧噪に包まれる臨場感…。いま、この場所がライブ会場へと変わる瞬間が、ジャズスポット「ロンド」のマジックだ。

不協和音から学ぶ

 海外から有名ミュージシャンを招いてのライブは、秋田ではロンドが先駆けだった。ジャズ喫茶の経営やライブ企画のなかで、初めて撮影したのが、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル。熱狂的なステージを隠し撮りした映像だが、評価は高く、当時まだ動く画が少なかったジャズへの興味と相まって、全国で上映された。
 ジャズと映画。
 言葉も意味ももちろん違うが、那珂さんの話を聴いていると、その境目が曖昧になる。ジャズから映画へ、演出へ。再び、ジャズへ。
 たとえば、昨年開かれた第62回国民体育大会「秋田わか杉国体」式典前演技をはじめとした演出の構成。ストーリーの組み立ては、ジャズに着想を得るという。
 「頭の中でストーリーを考えているだけでは駄目。自分が感動した音楽が、どんなふうになっているのか、どんな構成になっているかをグラフに書き込んでみる。そのグラフから、ストーリーが導き出される時があって、そこにアドリブを足していく。以前は、何にも無いところからつくり出そうとばかり思っていたけれど」
 ジャズの音には、心を揺さぶり、さらに別の音と別の心象を紡ぎ出す魔法があるようだ。
 「ジャズというのは、不協和音。いい音を出すだけでは普通になってしまう。不協和音の中で、一瞬だけきれいな音を出す。一番いい音は、自分が分かってさえいれば誰にも気づかれなくていい。そういうバランスが大切なんだということを、マイルス・デイビスが言っています。それは、ものをつくる時にもいえること。ずっとジャズを聴いてきたから、いつの間にか、感動した音楽を映像化して考えるようになった。『隙間』だけは、別ですが」

初監督は一六ミリ映画

  初監督映画である『隙間』は、二十年以上前に自主製作した。機材が少ないため、カメラをあまり動かさない環境で苦し紛れに「隙間」で撮った映画の主役は、ミュージシャンの内海利勝。鍵を握る老人役には、役者を離れ、各地をさまよい歩いていた俳優・天本英世を口説いた。
 「ホームレスのような生活をしていても、彼はグルメ。おいしいきりたんぽ鍋を食べませんかって、誘ったんですよ」
 楽しげに、そう明かす。一週間という強行スケジュールでつくった十六ミリ映画は、思いのほか、不評だった。
 「ジャズも映画も、誰にでも分かるものより、難解なほうが好きなもので。内容が少し難しいと言われました。ただ、あの時撮った映像は、編集し直せばし直すほど良くなる。最初に撮った素材がいいから、再編集したくさせられる。『未完成』のなかに、何か秘めたものがある。いま思えば、何も無いところから考えてつくり上げたのは『隙間』だけかもしれない」

隙間から紡ぎ出す

 子どものころ、歌舞伎好きな祖母からあだ討ち物や心中物などの物語を聴いて育った。耳で聴くストーリーは、想像力をかき立てた。大町三丁目にあった映画館に小学生の時から通い、シナリオ学校に行く前には、すでに幾つもの脚本を書き上げていた。
 ロンドに訪れる弟分たちとの無邪気で愉快な会話、妻・暁子さんとの出会い、戦争帰りの破天荒な父との思い出…。
 映像ディレクターとしての活動の背景には、常にジャズと映画があり、ロンドという不思議な空間がある。それらが混然となった世界の隙間から、物事への謙虚さと愛しさがのぞく。
 「どんなに忙しくしていても、必ずここに帰ってくる。ロンド抜きにしては、人生は考えられない。この場所は、私の最も基本にあるところ」
 作曲家、ミュージシャン、美術監督、プロデューサーなど、多くの才能が巣立っていった。音楽と映画と、那珂さんを愛する人々が集い、遊び、離れてもそれらを思い続ける場所である。
 ジャズの話と映画の話。思い出話と、これからのこと。すべては「ロンド」という隙間から紡ぎ出されるストーリー。

(2008.8 Vol70 掲載)

なか・しずお
1947年秋田市生まれ。上京してシナリオを学んだ後、帰郷。ジャズスポット「RONDO(ロンド)」を経営しながら、映画やCMなど映像制作を手がける。2000年、秋田県薬剤師会CMでギャラクシー賞受賞。1986年に自主製作した映画「隙間」が2001年第3回インディーズムービー・フェスティバル入選。2007年秋田わか杉国体・式典前演技演出、2008年第59回全国植樹祭・式典演出監督を務めた。2007年度NHK東北ふるさと賞受賞。秋田市在住