Natsumi Murayama 村山 夏美さん(二十歳・秋田経済法科大学二年)
カヤック・シングルスラローム FK1'98年99年日本ランキング1位
 小柄で、きゃしゃに見えるが、真冬の川風にも負けずカヤック・スラロームのトレーニングを黙々とこなすファイトは並みのものではない。
 鹿児島県生まれの夏美さんが秋田に住むようになったのもすべて「カヤックで世界へ行きたい」というためである。カヤックをやるための最高の環境を求めて秋田にやってきたのだ。

  負けず嫌いのファイト魂。

 夏美さんがカヤックと出合ったのは小学4年生。鹿児島県内の小学校にカヤックの授業がはじめて導入された年だった。夏美さんにとっても、はじめてのカヤックだったが、ミズスマシのように水面を自由に走る感覚にいつのまにか夢中になっていた。とことんやる性格はそのころからのものである。学校で一番、町内で一番、自他ともに認める実力だと思っていた。ところが、翌年行われた町の大会ではレース途中にあえなく転覆。さらに、翌々年も同じく転覆してしまった。自分が一番、優勝候補だ、そう思っていたのに…。「くやしい、なんで転覆するの!」観衆の前でくやしさを隠さず、涙する少女。その負けず嫌い、闘志あふれる根性に注目した人物がいた。鹿児島カヤック界の第一人者である木場監督であった。きちんと練習をすれば、もっと力がつくと木場監督は傍らの母ミサ子さんに助言したという。その言葉に勇気づけられた夏美さんは、今度は木場監督の指導のもと、本格的な競技カヤックを目指すことになった。

  中学生で全国優勝

 鹿児島にはカヤックに適した水量の豊かな川がない。練習場所を求めて毎週土曜・日曜日には両親が運転する車に乗って隣県の熊本県人吉市の球磨川まで出かけて行った。木場監督の指導を受けるようになってから1カ月後にジュニア最年少で全国大会に初出場した。結果はとるに足らないものだったが、それでも全国大会という大きなステップを踏み出したという自覚がよりカヤックへの傾斜に駆り立てた。中学生になってからは放課後も町役場の池で一人練習をしていた。普通の女の子たちが街に出かけて遊んでいる時間、一人黙々と練習を重ねている夏美さんの姿があった。休日も祝日もないカヤック漬けの毎日だったが、そのかいあって中学1年でジュニア選手権初優勝。そして、中学2年生の時には日本選手権大会F(女子)K1で初優勝を飾った。

  チームELKとの出合い

 高校2年生の時だった。体調をくずしてカヤックを続けようかどうか迷っていた。そんな時、ジュニアの世界選手権大会で角館町に本拠地を置くカヤックレーシングチームELK(増田弘毅代表)の馬場コーチに出会う。角館町といえば、いつも全国大会に出てくる佐々木翼君がいる町だ。彼は現在の日本ジュニアのトップである。彼らの雰囲気から、ELKがかなり本格的な環境で選手養成に取り組んでいる熱気が感じられた。
 「いいなあ」。
 そんな環境で練習ができる選手がうらやましかった。鹿児島ではカヤックは授業で習っていても、夏美さんのように競技までやる人はいなかった。いつも一人で練習するしかなかったのである。それにひきかえ、ELKには小学生から社会人まで多種多様なメンバーがいて、しかも、きっちり競技レーシングの練習をしているという。


  世界を目指して秋田へ

 「秋田に行けば道が開けるかもしれない」。1998年、高校3年の時、夏美さんは両親とともに秋田を訪れた。秋田経済法科大学への進学準備と、角館町でのELKの練習を見学するためであった。
 カヤックのレーシングチームELKは10年前、県内の愛好者10人ほどが集まって発足したクラブチームである。佐藤隆悦コーチを角館町に招き本格的なトレーニング活動を開始。現在の会員は100名を数える。小学生から中高年まで、本格的なレーシング技術習得を目的としており、親子で参加している会員も多い。角館町大威徳山のふもと、玉川をホームベースに田沢湖町生保内の玉川、夏瀬渓谷などが練習場所だ。昨年からはスロベニアからコーチを招いて強化練習をしており、世界を目指した活動が行われている。会員には’99年の日本選手権チャンピオン佐々木翼(角館高校3年)、カヤック留学のために角館町に転居してきた山中修司(角館高校2年)など、世界を目指している選手がいる。


  練習に連帯感感じる

 ELKの活動が全国から注目されている背景には練習場所に恵まれているという地の利がある。田沢湖を経て流れ落ちる玉川は水量が豊富で、このような練習場所は全国にも稀れなのだという。恵まれたコーチ陣、小学生から社会人まで、競技レーシングに徹しているという人的環境、角館を目指して選手が留学して来るというのもうなずけるものがある。
 こうしたELKの活動の様子を見て、夏美さんの両親は、何よりも、社会人がチームを支えて小学生や高校生がのびのびと練習している光景にチームの連帯感を感じ、安心したようだ。
 そして、1999年4月、夏美さんは秋田にやってきた。大学は秋田市に、住居は角館に近い中仙町に決めた。毎日、秋田市まで車で通学し(若葉マーク)、火曜日と木曜日の夜練習、土曜日・日曜日の昼練習は角館や田沢湖の玉川に通うという再びカヤック漬けの日がはじまった。しかし、それは鹿児島時代の練習とは随分違っていた。「何よりも、仲間と一緒に楽しくやれるのがうれしい。鹿児島では仲間がいなかったので一人でやるしかなかったんです。でも、ここなら、みんなとレースができるし、日本のトップの選手もいるのでレベルの高い練習ができて最高の環境だと思う」。
 佐藤コーチや馬場コーチの指導で世界に向けた練習がはじまった。1999年秋にはシドニーオリンピックの出場枠がかかっている世界選手権(スペイン)にも出場したが、残念ながら日本女子FK1は出場枠を獲得できなかった。

  冬を越えて大きく成長

 南国生まれの夏美さんにとって、秋田の冬は最大の難関であった。慣れない雪道の運転、そして、真冬の川での練習はこれまで経験したことがないほど厳しいものだった。しかし、それは予想していたほど辛くはなかったという。というのも、「秋田の冬は寒いぞ」とさんざんメンバーにおどかされていたので、大変な厳しさなのだろうと覚悟していたという。
 カヤックはパドルを漕ぎはじめると汗をかくほどなので、上半身は寒くはないという。しかし、パドルを握る手は水を直接かぶるため凍えるほど冷たくなる。雪がちらつく中では1時間の練習が限度だ。
 「思ったほど冬は厳しくなかった」。
 故郷の鹿児島を離れて一人暮らしをはじめてから一年がたった。雪国の冬を越えて、そこには一回り大きくなった夏美さんがいた。


  国体、そして世界へ

 2000年の春、夏美さんは今年の目標を初の国体出場に据えた。これまでは、世界選手権に出場していたため、国体には出たことがなかったのだ。秋田県民として国体初出場への挑戦。そして次のストロークへ。夏美さんの目標はあくまでも世界、オリンピック出場である。その視野には4年後のアテネがある。

(2000.5 Vol.23 掲載)

むらやま なつみ
鹿児島県曽於郡末吉町生まれ。小学校4年の時からカヤックを始める。中学1年でジュニア選手権初優勝。か中学2年生で日本選手権初優勝。1998年NHK杯優勝。1999年、県立末吉高校卒業、秋田経済法科大学入学。1998年、1999年FK1日本ランキング1位。