黄緑色。それは、記憶の色だ。
「子どもの頃、部屋には黄緑色のカーペットが敷き詰められていました。私はその上で、絵を描いたり、粘土で人形を作ったり。そこは私の原点のアトリエ。何かを生み出すことにわくわくして、純粋に『作る』楽しさを知っていた頃の私の創造の源なんです」
芸術に学問として向き合うようになって初めて感じた窮屈さ、オリジナリティーの乏しさ…。インスタレーションや油彩画に没頭しては離れ、また没頭しては離れ、自分が描く意味を問い続けて模索した。そんな学生時代、誰にでも他者とは違う「自分だけの記憶」が存在することに気づく。記憶の深層から生まれた「キミドリの部屋」シリーズは、描く自分も見る人もその中に溶け込み、眠っていた記憶を追体験できる「装置」としての絵画だ。
「スポーツと一緒で、芸術には筋力が必要です。いわば、感性の筋力。技術は大切ですが、この筋力が不足していると表現力が弱いんです。筋力を鍛えるには、自分と向き合い、分析すること。自分にとって何がコアなオリジナリティーなのか、どう無駄なものを削ぎ落としていくのか。自分に問い続けたことで生まれた黄緑色の部屋には、やがて『ウサギねずみ』が現れました。か弱い存在としてのウサギと、繁殖力の強いネズミが合体したものです。それらが対面して対話することで、見る人へのメッセージ性も広がりました」
そして黒。それは、可能性の色だ。3・11の震災以降、黒に込める思いは強い。
「日本人の感性や美意識。人としてあるべき姿や道みたいなもの。そういった見えない心を見えるようにするのが、芸術の素地。例えば、思いやりや緻密さ、真剣さ、あいまいさを包括しながら凛と輝くさまを花の姿に落とし込みたい。花の姿を借りながら、人の心、日本人の美意識を表現するイメージを熟成させてくれたのが秋田です。ここは、日本人の心を色濃く残している土地だと思うんです。秋田という土地で日本人らしさを追求することで、個人のアイデンティティーを削ぎ落としたところで残るものを確かめられるのではないかと思っています」
秋田で暮らす中でイメージされた「黒」と「花」。その花姿は、今年、さらに変化を遂げていく。
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