Shinobu Osawa 大沢 しのぶさん
和太鼓奏者

「ダサーイ」「何だあれ?」と同年代の子たちに言われたこともあったが、そんな時も「私は太鼓が好き。自分が好きなんだからいいじゃない。いつかカッコいいと言わせてみせる」と逆に太鼓への思いを熱くしたという。だが、そうした自分を保ちつづけたある時、太鼓は「大沢しのぶ」を表現しはじめた。


 きりりと結んだ鉢巻き姿も凛々しい若者たちが登場すると会場のざわめきが一瞬静寂に変わる。次の瞬間、ピーンと張りつめた空気を打ち破るように「ドーン、ドンドンドンドン」という太鼓の大音響が心臓を揺さぶるように容赦なく迫ってくる。小太鼓と中太鼓の組太鼓だが、ジャズやサンバのリズムに乗せて全身で太鼓を打つさまは舞いにも似ていて観る者を魅了する。大沢しのぶさん率いる「大館曲げわっぱ太鼓」の「忍組」は総勢十人。和太鼓界で最近めきめきと実力をつけて注目されているグループだ。

十歳からバチを握る

 しのぶさんが太鼓に出合ったのは小学四年生の時だった。母の勝子さんが「大館曲げわっぱ太鼓」を始めるというので連れられて行った先がその道場だった。「大館曲げわっぱ太鼓」とは当時、大館市の職員だった田畑準吉さん(現在七十一歳)が大館の産業をアピールするものをと考えて結成した太鼓チームだった。桶樽の胴に皮を張った曲げわっぱ太鼓は、普通の和太鼓に比べて軽くやわらかい音を出す。音に特徴のある曲げわっぱ太鼓と和太鼓を組み合わせることでバラエティに富んだ曲目も演奏できる。
 大館名物の曲げわっぱを名乗る太鼓チームは観光にも大いに役立つと観光協会に勤めていた勝子さんも参加することになった。しのぶさんも「お母さんの太鼓がある日」は学校から道場に向かうのが日課になっていた。大勢の大人たちが太鼓の練習に励むのをはじめは見ているうちに飽きて眠ってしまうこともあったが、そのうちバチを持たせられ、いつのまにかチームの最年少メンバーになっていた。


支えてくれる母の存在

 以来、しのぶさんは太鼓を打ち続けてきた。通常は週に二回の道場通いだが、コンクールやイベント出演の前は連日だった。練習中はバチの打ち方、体の動き、表現などについて田畑さんの容赦ない声が飛んだ。
 この厳しさに耐えてこそ今日の彼女があるのだろう。それでも、思いどおりに打てない自分がくやしくて泣いてしまい、太鼓をやめようかと思った事は何十回もあった。弱気になったしのぶさんを母が支えてくれた事もあった。衣裳のほとんどは母の手作り。今でも一番の理解者であり一番厳しい観客でもある。
 十年ほど前、しのぶさんが高校生の頃は太鼓はマイナーな楽器だった。「エッ、太鼓、ダサイ」「何だあれ、カッコ悪い」など、同じ高校生からも言われた。


打つ人の思い表す

 ダサイ?カッコ悪い?そうかな、そうなのかな…皆から言われるとそう思わざるを得なかったが、しかし、「カッコ悪いと言われるのは自分が未熟だから」いつか必ず「カッコイイ」と言わせてみせる。そんな思いを胸に秘めていた。バチを下ろした瞬間の「ドーン」という胸のすくような大音響が心地よかった。思いっきり打った後の爽快感は何にも代えがたいものだった。「私は太鼓が好き。だから続ける」。子どもの頃から生活の一部になっている太鼓はしのぶさんの生き方を表現するものになっていた。悩みながらも「自分は自分」と、気持ちを保ってきたことで太鼓はしのぶさんの宝になった。中学三年の時に「東北おはやし大会・創作の部」で優勝したのを皮きりに「富士山大太鼓一人打ちコンクール」「オールジャパン・オタイココンテスト」なども総なめにしてきた。
 太鼓には打つ人の思いや生き方のスタイルが表れる。社会人になって、太鼓は「大沢しのぶ」を表現できる貴重な場なのだということに気がついた。バチを持つのが辛い時期もあった。苦労と呼べるものは数えたらきりがない。それでも「自分を表現できるものがあって私は幸せだと思う」という。


全身使い躍動的に

 「大館曲げわっぱ太鼓」の設立者で指導者でもある田畑準吉さんは、かつてジャズドラムをやっていたこともあり、チームが演奏する曲はほとんど田畑さんの作品である。そのオリジナル曲は三十曲余。中でもしのぶさんの好きな曲は「戦国ビート」だ。八人の中太鼓をバックスに、組太鼓の二人が自分の持ち味を活かしながら掛け合いで打つ、まさに和太鼓の醍醐味が存分に堪能できる曲だ。時には激しく、時には遠い海鳴りのように低音を響かせて一つのドラマを語るがごとく太鼓演技が展開していく。全身を使って打つ若者たちの姿は躍動的で「乱舞」のようだ。
 満身にリズムをみなぎらせてダイナミックに躍動する体、キッと太鼓を見据える表情からは「目立つことが嫌い」という普段の彼女は想像できない。太鼓のバチを握ると「違うスイッチが入る」のだ。打ち出すまでの一瞬の静寂は何にも変えられない「至福の時」であるのだという。そこには水を得た魚のように、生き生きとした「大沢しのぶ」の顔があった。


技術向上にしのぎ削る

 「大館曲げわっぱ太鼓」は子供たちの「つくし組」、十代〜二十代の若者が中心の「忍組」、そして「壮年組」に分かれて練習しているが、一時少なかった子どもたちも最近のブームのせいか増えてきた。また、県内の各市町村にも必ず一組は太鼓チームがあって盛んになってきており、一つところに安住せずにレベルアップにしのぎを削るという傾向にある。そんな中でも忍組は県内でも随一の実力を誇っている。全国太鼓フェスティバル(岩手県陸前高田市)に二年連続出演するなど、しのぶさんのリーダーとしての実力も高く評価された。ソロ奏者として国立劇場「日本の太鼓」公演にも出演した。十八年のキャリアが実った今は一つの到達点。これからは新しい段階が始まる、そんな予感がしている。
 近い将来、教育現場にも太鼓が取り入れられ、同時に社会の観る側の人たちも少しずつ変わっていくだろう。そういう時に太鼓で何を伝えていくのか考えなければならない時期に来ている。自分の太鼓を見つけることに専念してきたこれまでとは違い、実りの時期を迎えた花が大地に種を蒔くように、後輩や観客に何かを伝えたいという。

二十周年機にチャレンジ

 これまで、太鼓はいつも何かをもたらしてくれた。その中には人との出会いもあった。かつてオフコースのドラマーだった大間ジローさんとの出会いはしのぶさんに新しい太鼓を教えてくれた。大間さんにもドラムへの熱い思いがあるように、人それぞれに語る太鼓の魅力があった。もうじき「大館曲げわっぱ太鼓」チームは結成二十周年を迎える。その時はこれまでの舞台経験を活かして、かつてないものに挑戦したいという。

(2002.7 Vol35 掲載)

おおさわ・しのぶ
1974年、大館市生まれ。大館鳳鳴高校卒業。10歳の時から「大館曲げわっぱ」チームのメンバーとして和太鼓に取り組んできた。現在は地方公務員(大館市役所)のかたわら、忍組を率いて全国各地のコンクールにも出場。次々にタイトルを獲得し、「和太鼓の秋田おばこ」と評される。プロに転向する奏者が多い中、地元の発展を願い初心者講座を開設するなど、アマチュアで活動している。