旭川沿いに立つ川反中央ビル、ココラボラトリー(coco laboratory)。
 「ココ(coco)」という名に地域(ここ)、個人(個々)、共同(co‒)の3つの意味を込め、さまざまな展開を見せてきたアートスペースがことし、7年目を迎えた。


土地の力を文化に

 「アートは時代を象徴するもの。ココラボのような場所は時代とともにある場所なので、移り変わる時流とともに変化していくべきものだと思っています」
 ギャラリーの窓からのぞく景色には、秋田駅へと通じる一直線の車の流れ。川面を揺らす緑、その間に見え隠れする人の動き─。ここは街めぐる人々の通り道だ。
 時流や世相といった「風の流れ」を感じながら、常にここで考えてきたのは「地霊(ゲニウス・ロキ)」の概念。「土地の雰囲気」や「土地柄」、「守護精霊」などを意味する。
 「その土地の上に〝層〟となって積み重なっている歴史や風土と、人と、場所との関係のこと。建築学で出合った場所論です。均質化した新興住宅地などには強い力はないけれど、歴史や文化、人が育んできた場所には確かな力がある。人の営みが場所や建物に力を与え、文化になっていく─。そういった土地と文化の仕組みがいまは希薄なのだと思います」
 たとえば、平安時代からの歴史と文化に彩られ、時を積み重ねてきた京都の街並み。あるいは関東大震災後、鉄筋コンクリートで建築された集合住宅の同潤会アパート。
 「たとえ建物がなくなっても、人の営みやコミュニティは大切に残されていく。それがその土地が積み重ねてきた力であり、文化なのだと思います」

自分の存在意義とは
 高校卒業後、京都の芸術大学に進学した。そこで感じたのが、これまで触れてきた美術やカルチャーの質と量の圧倒的な違いだ。子どものころから美術が好きで、よく眺めていた五城目町の森山をクレヨンで何度も描き、美術館をめぐり歩いていた少女が直面したのがアイデンティティーだった。
 「地方で育った私には、芸術的な経験値が足りなかった。これまで見て触れてきた芸術が他の人とは違ってついていけず、存在意義を問われた気がしました。私が専攻したのは絵画や工芸などの具体的な表現方法ではなく、美学や哲学、建築史、音楽論などを引っくるめた芸術学。だから『何をやっているの?』と問われても、答えるものが何もなかった。ものづくりそのものでなく、芸術のかたわらで仕事がしたいとただ漠然と思っていた。『自分はこうなんです』とはっきり答えられるようになりたい、自分のアイデンティティーは? 存在意義は? と、ずっと考えていました」
 大学卒業後は、ものづくりの現場に身を置こうと老舗竹材店に勤務した。京都で生き、年齢を重ねるごとに技を磨き、豊かに育っていく伝統工芸の職人の仕事に触れながら自分が進むべき道を模索した。そのころ、造園や和菓子、漆など伝統的職業に携わる若手同士で結成したのが「地下茎」だ。伝統的な素材や技術と社会とを結びつける取り組みのなかで台湾大震災復興イベントにも参加する。そういった活動のなかで徐々に「進むべき道が見えてきた」という。
 「若手の職人たちはみな将来のことを悩んでいました。でも活動を重ねるなかで、それぞれに答えが出せた瞬間があった」
 そして2004年、いったん秋田に帰郷する。「何もない」はずの故郷で出会ったのが、魅力的な人や自然、空気、そして秋田の気質だった。
 「昔はつまらない景色に見えていたものが、すべて新鮮に映りました。これからは地方がおもしろいのではないか。もしかしたら自分は、文化や生活、習慣の違う京都で『無理をしていたのかも』と。生まれ育った場所でなら、自分に与えられた力を発揮できるかもしれない。芸術的な経験値は、地方であっても誰もが深めることができるはず─」
 自分の存在意義が心に芽吹いたときだったのかもしれない。

追い風とともに
 人の営みと歴史や文化が息づく場所を求め、歩き回った旭川沿いで見つけたのがここ、川反中央ビル。印刷工場でもあった建物内には柱が少なく、展示スペースとして魅力的だった。「ギャラリーだけでなく、いろいろな人が集まる複合ビルにしたい」との思いにも合致した。
 秋田で出会った人たち、ボランティア活動での縁、県の創業支援事業などさまざまな仲間の協力や支援、理解などの追い風を受けて起業、猛スピードでこの6年を駆け抜けてきた。3年分の計画は2年で進み、やがて「ギャラリーの予約が急に埋まりだした」ことに気づく。表現活動の発表の場として、情報発信の場として、もともとある素材に新たな価値を生み出してきたココラボラトリー。人と人、アートと社会とを結びつける場所として認知された証でもあった。
 「秋田にはこれほどまでに〝つくる〟人がいることを思い知らされました。そして3周年を過ぎたころ、ココラボの活動とその役割は一通り果たせたかなと思いました。そう思った瞬間に、ここの役割が変わったような気もします。年ごろになった、というのでしょうか。ココラボも私自身も、次のステップを考えるとき」
 時流とともにあるアートスペースだからこそ〝風向き〟にも敏感だ。必死に駆け抜けてきたころとは、何かが違う。
 「風が変わった」
 いまはそう感じている。

原点に立ち返る
 ことし3月の東日本大震災後、ふと立ち返って気づいたことがあるという。
 「震災後にぽっかりと空いた時間、ココラボを訪れた人たちとゆっくり話すことができたんです。オープン当時は大切にしていたこんな時間が、そういえば少なくなっていました。必死に駆け抜けてきて、浮き足立っていたのかもしれない」
 家族のこと、食のこと、アートのこと、ココラボのこと。震災後に誰もが感じた「大切なものとは?」の問いかけが、彼女の上にも降り注いできた。
 「文化や芸術とは言っているけれど、最小のコミュニティが豊かでなければ成り立たない。そう気づかせてくれました。だからこそ地に足を着けて、原点に立ち返ってアートと社会を結びつける自分の道をさらに考えていきたいと思っています」
 秋田でものづくりに携わる人々が制作し続けられるように。アーティストのパワーを受けとめ、社会と結びつけられるように─。今後、彼女の活動はどんな方向へと展開するのか。風が再び吹き始めた。
(2011.8 vol89 掲載)

ささお・ちぐさ
1977年五城目町生まれ。県立秋田高校、京都造形芸術大学芸術学部卒業。京都の老舗竹材店に勤務後、2003年帰郷。女性のための起業セミナー受講後、県創業支援事業の助成金を受け、05年秋田市大町に表現活動の場であるアートスペース「ココラボラトリー」開業。06年フォーエバー現代美術館(秋田市)立ち上げに参加。07年「project room sasao」オープン。11年秋には秋田県主催のアートイベントを手掛ける。秋田市在住