柴田晶子タイトル

柴田晶子写真5 口笛の演奏会。くちびるをすぼめ、会場の空気を震わせるようにして吹き始めたのは『口笛吹きと犬』。子犬とはしゃぎ、じゃれ合いながら歩く少年の足取りそのままに、軽やかで、陽気なメロディー。
 『雨にぬれても』はリズミカルに、でもしっとりと。『パリの空の下』は手回しオルゴール〝オルガニート〟と共に、切なく、気だるく。
 そっとささやくように、透き通った声を響かせるように─。それは楽器の音とも、歌声とも違う音色。口笛は、風のように吹き抜けていく。


歌うより口笛が好き

 「いつからなんて覚えていないぐらい小さいころから、気が付けば口笛を吹いてばかり。『ご飯を食べるときぐらいはやめなさい!』なんて、母にいつも叱られていました。姉たちが歌っているときも、私は口笛を吹いて音を重ねていく。耳に入ってきたメロディーを皆が口ずさんでも、私は口笛。どんなときも、歌うことより口笛を吹くほうが好きでした」
 くちびるを軽く閉じ、少しずつ開いて息を吐く。口の中の広さを変え、息の強さや舌の位置で音程を変えながらメロディーを奏でる。いつでも、どこでもできる口笛は、どんなときも生活の中で生まれては消えていく。
 「私にとって口笛は、決して特別なものではなくて、鼻歌のようなものなんです」

柴田晶子写真4口笛国際大会へ
 口笛が日常生活のひとこまではなく人生において存在感を放ってきたのは、東京で仕事に明け暮れていたころ。6年ほど前に母が新聞の切り抜きを見せてくれたのがきっかけだ。そこには「口笛世界大会で日本人女性が優勝」の文字。
 「口笛に世界大会!? とびっくり。そんな物好きが世界中にいることにさらにびっくり。調べてみると世間には口笛教室というものもある。これはちょっと遊びに行ってみようかなと…」
 教室には、真剣な表情で口笛演奏に取り組む人たちの姿があった。「これは面白いものを見つけてしまった」と早速教室に通い始め、それまで何げなく吹いていた口笛と初めて真摯に向き合うことに。教室の講師であり、世界大会優勝者でもある分山貴美子さんの生演奏を聴きにいったのもこのころだ。
 「分山さんのドビュッシー作曲『月の光』は衝撃的でした。口笛とは思えないほど澄んだ音色。こんなにも透き通っているのはどうしてなのか、人間の体から直接出る音だからなのか…。口笛でこういうことができるんだと鳥肌が立ちました」
 それ以降、会社勤めの忙しい日々の中で教室に通い、昼休みにはカラオケに行って練習するなど口笛に没頭した。初めての演奏会は2007年、地元・茨城の老人ホーム。年配の方々の前で響かせた口笛は、聴く人だけでなく自分自身に勇気を与えた。その後も音楽性のある口笛を磨くために練習を続け、翌08年には地元の茨城県牛久市で開催された国際口笛コンクールに出場。初めての大舞台で総合2位を受賞した。

口笛奏者の道
柴田晶子写真3 「私には、飛び抜けた特技はありませんでした。それが今、口笛という可能性を見つけた。会社勤めをしながらの演奏活動に物足りなさを感じて、もっとうまくなりたい、もっと磨きたいという思いが強くなって、そんな思いを大切にしようと決めました。これからは堂々と口笛を吹こう。せっかく見つけた口笛の道、生かさないで人生を過ごしたらもったいない。そう決めてから、ひとつひとつの出会いをとても大切にするようになりました。大げさかもしれませんが、口笛が人生を豊かにしてくれました」
 口笛に没頭する中で転機が訪れる。09年に結婚。その後、会社を辞めて生活は変わった。
 そして口笛奏者としての人生の歯車が動き出していく。中国で10年に開催された国際口笛コンクールで総合優勝、12年には2度目の総合優勝に輝いた。「陰で支える役に喜びを感じるタイプ」の自分が口笛で主旋律を奏で、いつの間にか主役に躍り出たのだ。
 3オクターブという広い音域が武器。クラシック、ポピュラーとも、澄んだ音色で広い音域を自由自在に行き来する。09年の同コンクール・アメリカ大会では、箏曲である『春の海』をビブラートを駆使して演奏した。音色は風にも、波にもなる。
 「ひとつひとつの音を大事にすること。くちびるから1本の線が伸びていくようなイメージが大切だと思います。ちょっと気を緩めたり力を抜いたりすると途切れて単なる雑音になってしまう。口笛のイメージとして分かりやすく、とてもよく合っていると思うのはジブリ映画『となりのトトロ』の『風の通り道』。吹き抜ける風、うっそうとした森。それが口笛の音」

可能性を開く
 演奏会では“オルガニート”と呼ばれるオルゴールの木箱に穴の空いたシートを通したものを、手元で回しながら口笛と合わせたり、マリオネットを登場させてコミカルに操りながら演奏することもある。ひとりで立つ舞台では、口笛の技だけでなく、さまざまな工夫を凝らして観客を楽しませていかなければならない。
 「世界的に見ても口笛は、音楽としてまだ成熟していないジャンルです。音楽的な要素よりも、大道芸に近いパフォーマンスとしての要素が強いかもしれません。音楽性を高めるのもエンターテインメント性を追求するのも、どちらもありだと思います。口笛には口笛のための曲さえありません。確立したものがないからこそ、口笛は面白い。演奏者がもっと多くなれば技術も上がり、新しい可能性が開けていくはず。これから盛り上がっていく音楽なのだと思います」
柴田晶子写真2 演奏会では、観客の目を引いたマリオネットが箱の中に戻り、口笛はまた別の世界をつくり出していく。ビブラートを効かせながら、あるいは息の合ったギター奏者と共に激しく、高らかにメロディーを奏でていく。
 「これまで一番こだわってきて、これからも大切にしたいのは生演奏であることです。目の前で聴いてくれた人が、次の演奏の機会へとつなげてくれる。そうやって出会いを重ね、どんどん広がっていくのがとても楽しい。いろいろな国を旅して、クラシックの音楽ホールから介護施設、動物病院などいろんな場所で、いろんな人と出会って演奏してきた経験が現在の私を支えてくれています。難解なピアソラのタンゴを口笛で吹いたり、いろんな楽器と絡み合いながら独自の世界観を築いていきたい。これからどう展開していくのか、流れに身を任せていくしかありません」
 新たな音楽ジャンルを模索していく。軽やかな足取りで鼻歌を歌うように、口笛を吹きながら。

柴田晶子写真1

(2013.8 vol101 掲載)
しばた・あきこ
1983年秋田市生まれ。2005年北海道大学卒業後、東京で海運会社に勤務。08年国際口笛コンクール初出場で総合2位。09年退社後、口笛演奏活動を本格化。10年国際口笛コンクール総合優勝、観客の1人1票で競う口笛フェスタ「パカラマ!」で最優秀賞受賞。12年国際口笛コンクールで2度目の総合優勝。声楽家・田村彰子さんのヨーロッパリサイタルへも同行、国内のみならず世界各国のミュージシャンと共演しながら口笛の新たな可能性を模索している。CD『口笛とオルゴールのやさしい時間』『口笛とオルゴールの星空散歩』『MALLETTE』。福島県郡山市在住