阿部雅龍タイトル

 土田さんは、イタリア政府公認のローマ観光ガイドである。前県知事のイタリア視察旅行の際に、現地で通訳を務めたのも彼女。現在は秋田市在住だが、自らイタリア旅行を企画・案内する「クリエイション・マキ」の代表であり、ここ数年では、おもに男鹿をフィールドにイタリアを切り口にした地域おこしも行っている。
 そんな彼女の人生は“遠回り”航路。風に乗って、しなやかに針路を変えながら進んできた。


イタリアへの航路

 津田梅子に憧れ、小さい頃から「大きくなったら外国へ行きたい」と漠然と思っていた。その思いのまま津田塾大学へと進学。でも勉強より社交ダンスで忙しかった、と笑う。「帰国子女が多くてなじめない時期もありましたが、広い視野と視点を授けてくれた先生たちには本当に感謝しています」。この頃初めてヨーロッパを周遊するが、イタリアの第一印象は「汚くて雑多」と、不評だったというから不思議なものだ。
写真4 大学卒業後は化粧品会社に就職。営業成績も優秀だった。スキルアップのために人材教育の会社に二度転職するが、再転職先が肌に合わず退職。
 「これが転機でしたね。一度目の転職のタイミングで、休みを利用してヴェネツィアに旅したのが感動的で。その頃から興味がわき、趣味でイタリア語を習い始めました。二度目の転職先に移る前にも、イタリアの小さい町を3週間ほど転々と一人旅して、いいなあって。仕事で気持ちが疲れきっていたある朝“辞めて、イタリアでのんびりしよう”と思ったんです。最悪の精神状態が私をイタリアに向かわせ、今がある。人生うまくできていると思います」

難関の観光ガイド資格取得
 1993年、当初は1年だけのつもりでイタリアへ移住。シエナの語学学校に通ったのちローマへ転居。エスプレッソの本場の苦さも、古代ローマの遺跡も、地中海と空の青さも、すべてが輝いて見えた。
 一度きりの人生、どうせなら外国で仕事しながら暮らしてみたい―。心配する両親を説得し、徐々に生活の基盤を整えていった。「人と接するのは好きなので」ローマの近畿日本ツーリストに飛び込み営業して、旅行の現地アシスタントに採用。謙虚で控えめな話しぶりからは想像もつかないようなエネルギーが、彼女の中にはいつも湧いているようだ。
写真3 そして大きな飛躍が待っていた。1999年、10年ぶりに行われたというイタリア政府公認観光ガイドの試験。イタリアでは、ガイドの仕事は長らく外国人に門戸が開かれておらず、通訳業しか許されていなかった。国籍不問になったこの資格があれば、と奮起。「私にとっては人生最大の試験であり、いいトライでした」。試験内容は書類審査、論文の筆記、口頭試問など。地理や法律、イタリア美術史、言語などの専門知識が、日本語よりも難解な言語とされるイタリア語ですべて問われるのだから、そのハードルの高さは想像以上だろう。
 見事に一発合格し、ローマ県公認の永久ガイド資格を取得(ガイド業は州ごとのエリア制となっている)。以来、旅行会社の団体ツアーから、議員・政治家、大手自動車会社社長の視察通訳、著名芸能人の個人旅行に至るまで、さまざまなガイド経験を重ねてきた。
 「ローマの面白さは、歴史と今が混在していること。初代ローマ皇帝アウグストゥスのお墓なんて、囲いもなくその辺にぽんとあるの。ゴミのようなものにも歴史があったりして深い」
 生活経験があるからこそ提案できる印象的な旅を。それは、おもに少人数旅行を手がける今も心がけていることだという。
 「結局15年近くイタリアにいましたが、一番印象的だったのは、イタリア人のカンパニリズモ(郷土愛)でした。地方からの観光客が、立派な教会を見て感動するものの、最終的には“おらほの村の鐘(カンパニーレ)がやっぱり一番だ”と言って帰っていくんです。負け惜しみではなく心からそう言って。足元にあるものの良さが分かっている、その精神性こそ、私が得た最大の収穫かもしれません」

写真2秋田の「カンパニリズモ」を
 2007年、親との約束もあり帰国。人生の航路が変わっていくなかで、イタリアでの日々を眠らせたくないという思いは、秋田の「カンパニリズモ」を掘り起こしたいという新たな針路につながっていった。
 きっかけは、2009年に男鹿市で開催された「男鹿・イタリア魚醤フォーラム」で通訳を務めたこと。しょっつるとコラトゥーラ(南イタリアの魚醤。産地チェターラ市ではまちおこしに成功している)、何かが結びついた。
 「イタリアにいるときは感じませんでしたが、意外にも秋田との共通点は多いんです。まず北緯40度線にあること。自然が豊かなこと。実際に南イタリアでは男鹿とそっくりな風景も見られるんです。料理もおいしいし、半島文化という点でも共通しています。男鹿の魅力を“イタリア”という切り口から発信できたらと思いました」
 その後は、地域おこし活動を行っている「NPO地域資源ネットワーク」の発足に携わり、2011年には任意団体「おがーりあ」を設立。男鹿とイタリアの魅力をかけあわせて楽しむ趣旨の取り組みを行っている。
 他方、イタリア人の日本誘致ツアーでは、アキハバラでもキョートでもなく、男鹿めぐりを提案している。実際、魚醤フォーラムの際に来秋したイタリア人にも「オガ」は大好評で、なまはげに脅され、温泉につかり、浴衣姿で日本酒を飲み上機嫌だったとか。日本の日常体験こそが最高のおもてなしと実感してもらえたという。
 「自分が若いときは“いいものは中央にあって地方にはない”というような風潮でしたが今は違う。年月を経て、いろんなものを見て、足元にあるものの良さが分かります。これからも旅行企画やイタリア語教室、各団体の活動を通して、イタリアと秋田、双方に双方のエッセンスをもたらすことができたらいいですね」
 さまざまな立場から地域おこし運動をされている方はたくさんいるが、はるか地中海から、秋田へ新しい視点を運んできた土田さんの活動は、ダイナミックでユニークだ。ひとつひとつの取り組みからイタリアとの交流が深まり、予想もつかないような気運が生まれてきたら面白い。
 広い視野を得て、しなやかに針路を変えながら人生を歩んできた彼女が、秋田の地で確信をもって鳴らしはじめた鐘の音。きっと、遠く高らかに響いていくことだろう。

写真1

(2012.8 vol95 掲載)
つちだ・まきこ
秋田市生まれ。1980年秋田県立北高等学校卒業、1984年津田塾大学国際関係学科卒業。㈱ノエビア、㈱日本マンパワーなどを経て1993年渡伊。1999年イタリアガイド国家試験合格。ローマ県公認ライセンスガイドに。2007年帰国。イタリア全土、フランスなどのオリジナル旅行の企画・運営を行う「クリエイション・マキ」代表。地域おこしグループ「おがーりあ」代表。NPO地域資源ネットワーク理事。イタリア語教室講師も務める