Hiroo Ishii 石井 浩郎さん 千葉ロッテマリーンズ(八郎潟町出身)


雌伏(しふく)の時が長いほどその時々に放つ光彩は
いちだんと輝きを増す。
光彩のその一瞬を求めて
球界の「おしん」は頑なに自分の生き方を守る。

 プロ野球界一の熱き男といえば、この人の名前を思い浮かべる人が多いだろう。石井浩郎(35)=八郎潟町出身。パ・リーグの大砲として活躍を見せた近鉄から電撃の巨人入り。不本意な代打生活に明け暮れたが、気迫の込もったバッティングと、ここ一番の勝負強さで全国のプロ野球ファンを魅了した。そしてミレニアムの今年、魂のバットマンは「千葉ロッテマリーンズ」という新たな活躍の場を得た。「まだまだやれる自信はある」という言葉は、県民の共通の思い。プロ11年目。紆余曲折(うよきょくせつ)を経て振り続けたベテランのバットから、目が離せない。

 「いずれはやってやる」

 自信に満ちた顔があった。
 4年ぶりに踏み入れたパ・リーグの世界。背中にはかつて近鉄時代の主砲として活躍した時と同じ「3」が輝く。
 本拠地は東京から千葉へ。「この背番号を用意してくれたということは、球団の期待の表れ。それに応える実力はあると思ってます」。新天地でスタートを切ったばかりだが、発するオーラは格が違う。男・石井には、代打ではなく、やはり四番の座が似合う。
 「去年は同じ土俵で戦わせてもらうこともできなかった」。春先から好調を維持していた巨人3年目。与えられた場面で結果を残しながらも、スタメンに清原内野手を固定する球団の方針から、代打出場を余儀なくされる日々が続いた。
 「それでも『いずれはやってやる』という気持ちは捨てていなかった」。いつか訪れるだろうチャンスの場面をいつも頭に描き、練習では人一倍バットを振っていた。
 派手なパフォーマンスがあるわけではない。しかし、相手投手に殺気をも感じさせる凄味のあるバッティングには、球界の主砲クラスがずらりとそろう巨人の中でもひときわ「頼もしさ」を感じさせた。そしてその期待を現実にする勝負強さも。
 昨シーズンは91試合に出場し、48安打、11本塁打、32打点。「試合で打つのは当たり前。それで給料をもらっているんだから」。職人道に徹する姿に、ファンみんなが熱い声援を送った。
 プロの世界で活躍し続ける難しさ。その事を誰より身にしみて分かっているのも石井だろう。近鉄入団直後に病気を患い、シーズンの前半を棒に振る。それでも四番打者連続記録を達成するなど「いてまえ打線」の主軸として活躍。一時は順風満帆の野球人生を過ごしているかに見えたが、手首の故障が原因で成績は低迷。7年間在籍した近鉄とは自由契約という最悪の形で決別することになった。
 「よく『印象に残る試合は』という質問を受けますが、僕は打つ事が仕事。だから特に思い出に残っている試合ってないんです。でも、うれしかったのが、巨人入りが決まって2月ころかな。フリーバッティングができた時。その前は手首が悪くて1年くらいまともに野球ができなかったんですよ。だから、これまで体験した何よりもうれしかった」。
 「故障が多いバッター」というレッテルを貼られ、一時はあきらめかけた野球人生。再びバットを握れた感動は、3年近くたった今でもしっかりと胸に焼き付いている。

  学ランをきちっと 

 秋田高校出身。実家の八郎潟町から秋田市へは汽車通学だった。石井の幼なじみは、往復の汽車の中で参考書を開き、真面目に勉強する石井をよく見かけたという。
 「あの当時は学ランの襟をはずして不良ぶるのがはやっていたけど、ヒロオちゃんは、いつもきちっとしていた。今と同じで、昔から『真面目で礼儀正しい』という言葉がぴったりの人なんです」。どんな事にでも妥協の許せない性格。だからこそ、現在の活躍があるのだろう。
 「プロ野球の世界って、人間関係とか、お金のこととか、ドロドロしたものがあるでしょ。秋田に帰ってくると、学生時代、純粋に野球に打ち込んでいた気持ちを思い出すんですよ」。年に一度ならず、必ず実家に足を運ぶのは、心身ともにリフレッシュできる場所だからだ。
 精神的な支えになっているのは、家族の存在。97年に結婚した歌手・孝子さんとはケガのリハビリ中、「夢をあきらめないで」の曲に感動した石井が彼女のコンサートに出掛け、楽屋を訪ねた事が出会いのきっかけになったという話は、有名なエピソード。
 正月には毎年家族で秋田に帰る。「物静かで、でしゃばった所がない。綺麗な人だけど、家の中ではとても芸能人には見えない。浩郎はいいお嫁さんをもらった」。これは石井の両親による妻・孝子さん評だ。
 互いに華やかな世界に身を置いている立場でありながら、決して普通の感覚を忘れていない夫婦。実家の居間には、愛娘とほほ笑む孝子さんとの家族写真が飾られていた。
 メジャーリーグの投手として活躍している野茂英雄(32)、吉井理人(34)ら、近鉄時代からの球友の活躍も石井の野球魂を刺激している。
 「野茂も石井もケガが原因で近鉄から出たでしょ。でも、そんな選手はみんな他で活躍してる。今では近鉄から出ると出世するというジンクスがあるくらい(笑)」。近鉄時代から石井の良き理解者で、再びロッテで石井とチームメイトになった立花竜司コーチ(35)はこう話す。
 ここ数年はこの四人を含めた元近鉄関係者が年末東京に集結し、野球談議に花を咲かせるのが恒例になっている。「普段は堅いイメージがあるけど、本当はかなり面白いヤツですよ」(立花コーチ)。千葉県館山で行われた秋季キャンプ。練習の合間に二人で冗談を言い合い、笑い転げる光景が何度も見られた。


  心・技・体が充実

 「シーズンの目標は具体的な数字よりも、とにかく全ての試合をレギュラーで出ること」。巨人時代の悔しさはまだ残る。しかし、今は新しい生活の事で頭が一杯だ。「去年は春から本当に調子が良かった。今もケガはないし、同じペースで練習していこうと思ってます」。本格的な技術練習は春から。オフシーズンは徹底した筋力トレーニングで体を鍛え上げる。
 183センチ、96キロ。数年前より、10キロ近くも増えた体重、格闘家顔負けの体つきは、十分筋力アップしていることが分かる。2年前のインタビューで石井はこんなことを語っていた。「イチローのようにバネを使ってプレーする選手はある程度、肉を付けない方がいいだろうけど、自分のようなパワータイプは体重を落とすと、逆にバットの振りが悪くなる」。
 他の選手の何倍をも筋トレに費やす練習法には賛否両論があるのも事実。しかし、35歳まで数々の名場面を演出してきた事実が、この議論の答えを体現しているのではないだろうか。


 今年は年男。

 心・技・体の充実ぶりがうかがえる石井のバットは、大爆発の予感がする。5月27、28日には秋田市八橋球場でロッテ―西武の好カードも。球界の若きヒーロー・松坂大輔投手の剛球を石井のバットが打ち砕く―。県民にはたまらない一戦になりそうだ。その松坂に関しては「自分も向かっていくタイプだから…」。
 2000年のプロ野球界を熱くするのは、この男の一振りにかかっている。

(2000.3 Vol.22 掲載)


いしい・ひろお
1964年6月21日、南秋田郡八郎潟町生まれ。秋田高から早大に進学し、プリンスホテルを経て平成2年、ドラフト3位で近鉄に入団。入団年の前半を病気で棒に振ったが、シーズン後半は20本塁打を放つ大活躍。その後も同5、6年連続ベストナイン。6年には打点王を獲得したほか、四番打者連続出場記録(362試合・平成4〜7年)に輝くなど、近鉄の主砲として不動の地位を築いた。9年、巨人に移籍するが清原の加入もあり、代打出場が多かった。11年シーズン終了後、河本育之投手とのトレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍した。