米本かおりタイトル

 NHK秋田放送局のコーナーだった「産直こまちクッキング」でおなじみの方も多いかもしれない。現在、料理教室「ワイズキッチン」と飲食店「米カフェ」を経営。料理研究家、「秋田の食」アドバイザー、コーディネーター。いまや、どの肩書きでも余すところなく伝えられないほどの活躍ぶりだ。

「通町」に育まれて

 実家は秋田市大町。幼いころから好奇心旺盛な少女で、「通町商店街」を庭に育ったという。3人兄弟の末っ子、その当時足の不自由だった母親に代わりよくお使いを頼まれた。季節の野菜がピカピカと光る八百屋では、目の前でところてんをついてもらい、仕事帰りに「もっきり」を求める人でにぎわう酒屋でみそを買う。製菓店では搾り出されたバタークリームがバラの花を形づくるのを眺めていた。「暮らしの何%かは通町のおいしいものでできていましたね」。五感に鮮やかに刻み込まれた「通町」の文化が、今もすべての礎にあるという。
 中学生になると、「おやつは手づくり主義」の母親がグルメに目覚め、それを機に自身も「食」への関心が高まりはじめる。器械体操に熱中する一方で、『家庭画報』に大いに感性を刺激され、その世界に憧れるように。そして進学とともに上京。同時に、料理研究家として当時第一人者だった、飯田深雪氏の教室へ。その日から今日へと道はつながった。

常に夢を描いていた修行時代
 思い立ったらひたすらに。飯田氏のもとで西洋料理の基本を学んだ後は、江上栄子氏の主宰する料理学院へ1年ほど。さらに、洋菓子研究家・森山サチ子氏の門下生となり、その傍ら吉祥寺の名店「多奈可亭(たなかてい)」で洋菓子製造のアルバイトに励んだ。大学卒業後は同氏のアシスタントとなり、雑誌や書籍の撮影なども経験、多忙な日々を過ごす。
 「就職を考えたとき、腰かけOLは絶対にいやだった。『家庭画報』の世界に足を踏み入れてみたかった。森山先生からはお菓子が好きという気持ちだけでは成功は難しいこと、プラスαのセールスポイントの必要性を教えていただきました」
 2年間のアシスタント時代を経て、テーブルコーディネートやフラワーアレンジなど、食卓まわりにも裾野を広げながら、最終的には今も交流のある上野万梨子氏に師事。「イギリスに短期留学したのも貴重な経験。常に10年先の夢を描いて行動していましたね」

米本かおり3転機のキーワードは「地産地消」
 充分すぎるほどの糧を得て帰郷した86年、マンションの一室で現在の前身となる菓子教室をスタート。生徒数は15名足らず。それでも夢にあふれていた。
 ケーキの宅配事業を手がけたこともあったが、家事と子育てとの模索のなかで、自宅での教室に一極化。しばらくはフランス料理をベースにしたサロン的な教室を展開する。ただ、ふつふつと疑問も湧いていた。「おしゃれな食卓のために、秋田で手に入らないような食材を、わざわざ東京から仕入れるのは違うんじゃないかって」
 折しも「地産地消」が叫ばれ始めたころ転機が訪れる。2002年、県からの依頼で出展した「地産地消フェスティバル」をきっかけに、「秋田カフェランチコンテスト(同年)」、NHK「産直こまちクッキング」コーナー出演(2003~09年)と、次のステージの仕事がドミノ式にやってきた。見慣れたはずの秋田の食材をふんだんに用いた、新しい感覚のおしゃれな食卓は評判を呼んだ。
 「秋田だからこその素敵な暮らしを、というコンセプトは、今も根底にあります。スーパーに並んでいる野菜ひとつにも、すべてストーリーがある。食材の生い立ちや生産者の苦労、思いを学び知ったことは私の一番の財産です」

「株式会社 米本かおり」
 上昇気流に乗るかのごとく続いた大きなうねり。しかし、手ごたえのなかで再び葛藤が訪れる。生徒さんにレシピを伝える、私の仕事は果たしてそれだけでいいのだろうか―。
 そして2つめの転機。「仕事の幅を広げたい」と、それまで個人事業だった料理教室を「株式会社」に改変。スタッフも大幅に拡充し、広告の料理撮影やスタイリング、コンサルタント、イベント企画など、教室の枠を超えたところにも「秋田の食」をプロデュースする仕事を多角的に手がけるようになる。2009年、吸収してきたすべての経験が、大きくのびやかに花開きはじめた。
 「上野先生から声をかけていただいて実現したイベント『北東北のマルシェ』は楽しかった。田園調布に秋田の生産者が赴き、生産物をPR・販売する一方で、むこうの食通の方からはアイデアや意見をいただいて、逆にこちらが啓発されたり。売り上げとしては赤字でしたが、意義は大きかった」
  料理研究家として、真摯にキャリアを重ね、一直線に夢を引き寄せてきた彼女。家庭をもつ女性としての葛藤や次に進むための覚悟―。 そういったものとも、つねに隣り合わせだったのかもしれないが、そのまなざしはいつも前を見つめていたのだろう。いままさに充実期を迎え、チャーミングな瞳の奥に静かな自信が宿っている。

「米カフェ」からの発信
米本かおり2 自分を育ててくれた地元「通町に還元したい」との思いから、2010年にオープンした「米カフェ」のパンフレットには、「秋田の恵みを生かすための"美味しい"企画室」と記されている。その理念は「秋田の食」を新しい形で発信し、伝えていくこと。生産者・料理人・消費者をつなぐ、食卓コミュニケーションの場であること。
 「お店にいらしてくれた方は『おいしい!』『盛り付けがかわいい!』と必ず喜んでくれるんです。カフェでの発見を、家で再現してみようかなと思ってくれたらうれしい」
 現在、フードコーディネーターやパティシエなどを含むスタッフの総数は15名。経営者としての目線を得たいま、注目しているのは「中食」産業の展開だという。中食とは、弁当や総菜などを購入し家庭で食べるスタイルのこと。内食(家庭で調理して食べる)と外食のあいだで、全国的にも伸び盛りの分野だ。
 すでにカフェ内にはデリ(総菜)コーナーが常設されているが、秋からは総菜やお弁当の販売にさらに力を入れていく予定。宅配サービスや新店舗の計画もあるという。「素材のよさを生かした"ほんとうの味"を」との信念から生まれる、洗練されたメニューの数々は秋田に暮らす人が口にしてこそ、ふるさとの豊かさを再発見させてくれるだろう。
 食の欲と貪欲さはつながっている。もはや料理研究家というカテゴリーをも超え、彼女の情熱と勢いはとどまるところを知らない。「センスを磨くためには外国へ行く経験も大事」と、9月には、サンフランシスコへと旅してきたばかり。オーガニックな食と農の先進地で学んだことを、新店舗にも生かしたいという。
 つねに感度を高く保ち、次々と夢のドアを開いていく彼女の手のひらの上で、ふるさと秋田はどんなふうに「料理」されるのだろうか―。次のひと皿が楽しみである。
(2011.10 vol90 掲載)

米本かおり1
よねもと・かおり
株式会社ワイズキッチン代表取締役社長、料理研究家、フードコーディネーター。食農連携コーディネーター。農業県秋田で食に関するアドバイザー、コーディネーターとしてテレビやラジオ、雑誌、料理イベント講演等出演多数。2009年には、東京多摩川田園調布にてイベント「北東北のマルシェ」をプロデュースするなど、多方面で活躍。著書に『米本かおりのキホンのおかずで素敵にアレンジ料理(辰巳出版)』や『調味料使いきり和洋中マジックレシピ(講談社)』等。